いきた、若衆《わかいしゅ》、こっちへ出しな。さあ、お待遠さま――」
 大盤振舞の施主《せしゅ》自身が、大童《おおわらわ》になって盛替えのお給仕の役をつとめている。
 それを見て馬上の米友が、あっ! と仰天しました。
 この大盤振舞の施主は、ほかならぬ道庵先生でありましたからです。
 それとも知らぬ道庵先生は、
「さあ、遠慮をせずと、いくらでもお代りを言ってくんな、今日はお蕎麦でたんのう[#「たんのう」に傍点]してもらうんだが、明日という日は白いおまんまを炊き出して、兵糧をうんと食わせるから、すっかり馬力をかけて石田三成をやっつけてくんな、毛利も、浮田も、何のそのだ、さあ、お代り、お代り」
 道庵が声をからしてどなっている。メダカが餌にありついたように、無数の雲助は寄りたかって、ハゲ茶瓶《ちゃびん》を振り立てつつ馬方蕎麦を貪《むさぼ》り食っている。

         十六

 呆《あき》れ返って、馬から飛び下りて来た米友に向って道庵は、いかにこの場に集まった雲霞の如き雲助という種族が、愛すべき種類の人類であるかということを、滔々《とうとう》と説いて聞かせました。
 道庵の昂奮した頭で説明された雲助礼讃は、言葉そのままで写すと支離滅裂になるおそれもある。よってこれを散文詩の形式で現わしてみると、こうもあろうかと思われる――
 嗚呼《ああ》、愛すべきは雲ちゃんなる哉《かな》。
 わが親愛なる雲助諸君こそ、現代に於ける最も偉大なる自然児の一人である。
 悪口《あくたい》は君達の礼儀であり、野性は君達の生命である。無所有が即ちその財産で、労働が即ちその貨幣である。家は無しと雖《いえど》も、天を幕として太平に坐し、一本の竹杖がありさえすれば万里を横行するの度胸があり、着物が無ければ傘《からかさ》を引っぺがして着るだけの働きがある。
 しかるに世間には往々、この愛すべき自然児たる雲ちゃんをつかまえて、道中筋の悪漢の代表でもあるかの如く讒誣《ざんぶ》する心得違いが無いではない。甚《はなはだ》しいのは、この愛すべき雲助をかの卑しむべき折助と混同する奴さえある。
 わが雲助こそは、天真流露の自然児であるのに、かの折助は、下卑た、下等な、安直な、そのくせ小細工を弄《ろう》する人間の屑である。
 雲助諸君こそは、天地の間《かん》に裸一貫で堂々たる生活を営むに拘らず、かの折助は何者だ!
 由来、道庵と折助とは反《そり》が合わないものの型になっている。雲助を礼讃する一面が、自然、折助の弾劾となるのは免れ難い因縁かも知れない! 自然、雲助を引立てるために折助のアラを数え立てることを、道庵先生はちっとも遠慮をしていない。
[#ここから2字下げ]
折助は暗いところで
まあちゃんと戯れ
夜鷹《よたか》を買い
緡《さし》を折り
鼻を落し
小またを掬《すく》い
狎《な》れ合い
時としては
デモ倉となり
時としては
プロ亀となり
まった、風の吹廻しでは
ファッショイとなり
国侍となり
景気のいい方へ
出たとこ勝負で渡りをつけ
お手先となり、お提灯持《ちょうちんもち》となり
悪刷《あくずり》を売り
世を毒し、人を毒する
要するに下卑た、下等な
安直な人間の屑は折助だ
[#ここで字下げ終わり]
 道庵の見るところでは、折助はかくの如く下等なものだが、わが親愛なる雲ちゃんに至っては、決してそんなものじゃない。
 銅脈もかつて、雲助の出所の賤《いや》しからざることを歌って、
[#ここから2字下げ]
雲助是何者、更非雲助児、尋昔元歴々……
[#ここで字下げ終わり]
と言っている通り、この素姓《すじょう》が賤しくねえから、貧乏はしても、折助あたりとは品格が違わあ。
 およそ、当代の下劣なる流行と、野卑と煽動と冒涜《ぼうとく》とは、ほとんどすべてが折助の手によって為されぬというのは無いけれど、雲助に至っては、いったい何を悪いことをしましたか?
 調べてごらんなさい、道中筋の悪漢の代表でもあるかのように見られているわが雲助が、今までに何を悪いことをしている。彼等は天真な自然児であると共に、善良なる労働者である。彼等あるが故に、箱根八里も馬で越せる。越すに越されぬ大井川も鼻唄で越せる。荷拵《にごしら》えをさせては堅実無比であり、駕籠《かご》の肩を担いでは、お関所の門限を融通するの頓智もある。雲助唄を歌わせれば、見かけによらず、行く雲を止めるの妙音を発する者さえある。強《し》いて、彼等が為す悪いこととして見るべきものがありとすれば、それは酒料《さかて》をゆするくらいのものだろう。だが、その酒料をゆするにしてからが、無法なゆすり方は決してしない、こいつはゆするべき筋があると睨《にら》んだ時に限るのである。それも、その際、旅人が自覚して、相当に財布の紐をゆるめさえすれば、彼等は難なく妥協し
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