も辞して仕えず、関ヶ原の時、石田三成は美濃半国を与えることを以て招いたけれども行かず――その深慮を讃《たた》えられた名家だということ。
 その家から、この関守を仲立ちとして、若干の地所をお銀様に譲り受けることになったものらしい。そうして、その地所というのは、どの辺にあるかまだよくわからないが、その面積はかなりな分量であろうことは想像される。
 何のために、お銀様がこの旅中で、こんなところへ左様に広大の地所を買受けるのか、それも昨日来て、今日もはや成立せしめるほどに事を急がせた理由は何であるか、そんなことはわからないながら、それだけの緒《いとぐち》で、なるほどと合点のゆきそうなことは、宇治山田の米友が、さいぜんから頻《しき》りに荷物を運搬していたこと、お銀様が存外落着いて、今日この地を立とうとの腰が見えないこと、それらによっても、その新たに求め得た領土というのが、これより程遠からぬところに存しているということは想像ができるのであります。それよりも、朝来の鈴慕以来、この家に留まった悪気流が早くも消滅してしまったということは、すなわち別にその広大なる領土を得たために、悪魔がそれに向って乗移ったのだと解釈されないこともない。
 それから追々、話が進むにつれて、お銀様の領土の観念が、弁信と、お雪ちゃんの頭に、明瞭になりました。
 このことに就いては、関守は、その前の晩、お銀様と弁論を闘わしているのですから、別に問題はありませんが、弁信は、お銀様の領土のことの観念が明らかになればなるほど、考え込んでしまいました。
 ひとり、お雪ちゃんは、心臓がおどるほどよろこびの念に打たれました。
 何という仕合せなことであろう、渡りに舟というようなよき運命に、わたしたちは恵まれたもので、この不可思議な貴婦人が、立派な理想家であって、且つ実力家であって、自分たちのために理想的の領土を建設して、そこに住めよと勧誘する。
 一も二もないことです。お雪ちゃんは、そういう安息所を、白山の奥や、畜生谷にまで求めようとしました。今、それが空想でなく、実現されて、自分も最もよき諒解の下に、無条件で、その中の一員となることを許されようとするのです。純真なるお雪ちゃんは、この異様なる貴婦人に向って、油然《ゆうぜん》たる感謝の念を起さずにはおられませんでした。
 だが――一つ忘れた大切なことがある。そこへ加わって安住を求めるのは、自分ひとりのためではなかった、弁信さんのためでもなかった、白骨までかしずいて、高山で苦労をしたその人の影を追うて、ここまで来たのではないか――ああ、鈴慕の主はどこにいる。それが急に気になって、胸がいっぱいになってお雪ちゃんは、この家の中を、落着かない眼で見廻しました。
 ほんとうに、あの異体な貴婦人の勧誘を感謝して聞く気になったのは、自分ひとりがそこで安心を得られるからではなかった。
 お雪ちゃんは、急にそわそわしてこの室の上下を見廻したのは、この座敷にその人が坐っていないことを、いまさら気がついたからでありました。
 ですけれども、それを関守にたずねてみるのは、どうしてもそぐわない。ましてお銀様に向ってをや――弁信を促し立てるのも、人前がある。そうです、こんなに暢気《のんき》に、いい気になってはいられないはずなのでした。
 お雪ちゃんは、ここで、その弁信の言うところの魔気が消滅しないで、残留していてくれた方がどのくらいよかったか――と考えてみると、居ても立ってもいられない気になりました。
 そうかといって、やにわにここを飛び出すわけにもゆきません。室内をグルグル廻るようにながめて、やがて、赤々と燃えた白昼の炉の中へその眼が落ちると、まざまざと眼に触れたのは、最初に不審なもののうちの一つ――卑しからぬ尺八の一管が、無残にも裂かれて、燃えさしとなって、炉中に残っていることです。
 しかるに弁信法師は、そういうことにはいっこう頓着なく、またお雪ちゃんのために、それらのことを思いやってやろうでもなく、黙然として、お銀様のいわゆる「領土」の話に聞き入っていますが、その有様は聞き置くべきだけは充分聞いて置いて、それから後におもむろに己《おの》れの判断と、意見とを喋《しゃべ》り出そうとする前構えのように見えました。
 白昼の炉辺は、それでも極めて閑寂で、鍋の中の栗が熟する音がよく聞え、つりおろされた鉄瓶がそのままでたぎっている音も聞えて来ると、外で、ざわめく軽い秋風の音が、関の藤川の流れを伴うて、透きとおるように静かになったものですから――客も、主人も、遠慮をして、頓《とみ》にその平和をみだそうとする者はありません。

         八十七

 それとほぼ同じ時刻、関ヶ原に続く、和佐見ヶ原の原中を歩いて行く二人の男があります。
 前なるは宇治山田の米友で、
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