でた怪漢は、上り立つと、身ぶるいをして、いきなり関屋をめがけて、その縄のれんのある台所口から飛び込んでしまいました。
 それを、眼をすまして見たお雪ちゃんは、何か知らず、よい手がかりを得たように思われないでもありません。
 あの男の出て来る折を待とうと思いましたが、それは待つというほどのことはなく、いま、縄のれんの中へもぐり込んだかと思う間に、もう、縄のれんの外へ浮び出して来ました。
 但し、浮び出して来は来たものの、もとの姿で浮び上ったのではありません、背中から肩、首へかけて、押しつぶされそうな、大きな明荷《あけに》を背負いこんで出て来ましたので、その意外に、お雪ちゃんがまた圧倒され、せっかく期待した手がかりに向って、当りをつけるのきっかけ[#「きっかけ」に傍点]を失ってしまったのです。
 その間に、押しつぶされるような重荷を背負った怪漢は、以前の崖道の小笹の中へ、熊のように身を没してしまいました。
 ほんとに惜しいことをした、そう思ってお雪ちゃんが、また、ぼんやりと考え込んでしまっていると、浮き出すのも早いが、引っこむのも早い怪漢は、またも小笹の間から、ぽっかりと浮び上って来ました。
 見れば、今の大きな明荷を、どこへどう処分してしまったか、またも最初のように手ブラで、むっくりと小笹の中から浮び出し、そうして、縄のれんをめがけて鉄砲玉のように飛び込もうとするものですから、お雪ちゃんはこの機会を逸してはならないと思いました。
「もし、若衆《わかいしゅ》さん」
「え!」
と怪漢が眼を円くして、こちらを見ました。お雪ちゃんなりとは気がついていなかったのでしょう、よし誰かいるとは気がついていても、呼びかけられるとは期待していなかったのでしょう。
「もし、若衆さん、あなたに少しお聞き申してみたいのですが、もし、ここらへ、眼の見えない、小さな、背中に琵琶を袋に入れて背負った坊さんの姿が見えませんでしたかしら」
「気がつかなかったなあ――」
 右の怪漢は、眼を円くして答えました。
「そうでしたか」
 お雪ちゃんは怪漢……のいう――怪漢はすなわち宇治山田の米友であること申すまでもありません――返事で、非常に失望を感じてしまいましたけれども、ここで、のがしてはまたつかまえどころを失ってしまうと思ったものですから、
「あの崖道を下りますと、どんなところへ参りますか、あなたがいま上っていらしった――」
「ここは、めったな人の通る路じゃあねえんだ――」
 その滅多には人の通らない路へ、どうして、あなたは、大きな荷物なんぞを担ぎ込むのです? と言ってやりたかったが、お雪ちゃんは、それまでは咎《とが》められないうちに、怪漢はまた弾丸の如く縄のれんめがけて飛び込んでしまいました。
 遑《いとま》なく、また浮び上ったところを見ると、今度は、素敵に大きな風呂敷包を一つ、さながら布袋和尚《ほていおしょう》が川渡りでもする時かなんぞのように、頭にのせて出て来て、またも小笹の中へ熊のように身を没しました。
 で、また以前のように、ぽっかりと単身で浮いて出るかと思うと、今度は、沈没したなり容易に出て来ません。
 してみると、運ぶべきものはあれで運び終ったものに相違ない――惜しいことをした、もう少し突込んでたずねてみたかったと、お雪ちゃんは、何か手のうちの物を落したような気になりました。それにしても、さいぜんの関守の返答ぶりと言い、こうして、路なき路といってよいところへ、大荷物をかつぎ込むことからして、只事ではないように思われてなりません。
 どうも仕方がない――思いきって、わたしもひとつ、あの小径《こみち》を下りてみましょう。今のあの若衆《わかいしゅ》のあとをたずねてみたら、たずぬる人の影がつかめないまでも、さきほどのあの権高い貴婦人という人にはまたお目にかかれるかも知れない。
 お雪ちゃんは、多少の冒険心を以て、今し米友が大荷物をかつぎ込んだ小笹の中をわけて下りて行きました。
 南条、五十嵐は、その時分、関守を相手に盛んに関ヶ原懐古を論じ合っていて、こちらの方は閑却しているのを幸い……
 お雪ちゃんの下りて行ったところはかなり広い竹藪《たけやぶ》になっておりました。広いといっても、その間を関の藤川が流れておりますから、竹藪はそこで両断されて、一方は松尾山までの林つづき。藤川の岸へ下り立つと、お雪ちゃんは、そこにささやかな丸木橋があるのを見、丸木橋のこちらに、蔦《つた》のからまった小さな祠《ほこら》のあるのを認めると共に、その祠の側の杉の大樹の下に、人が一人立っているのをさとらないわけにはゆきません。
 ところがその人は、当然そうでなければならないと信ずべき、今の大荷物を運搬した小怪漢ではありませんでした。
 尤《もっと》も、その彳《たたず》んでいる人の直前には、
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