一つの儀式に過ぎないものになって、それを通過した後は、やっぱり兄妹と同じことの親密さ以外の何物も味わえなかったし、また二人としては、味わおうとも期待していなかったし、味わうべきものでもなんでもないと、世の中の夫婦関係というものには、親密以外の何物もあるのじゃないと、もう、ほとんど先天的みたように、そう思いきって暮していた間へ、拙者というものが現われたのです。いや、拙者が現われたのではなく、この短笛――この一管の曲者《くせもの》が魔風《まかぜ》を吹きこんでしまいました」
 関守は手をのべて、竜之助の下に置いた尺八を、自分の手に取戻して、話をつづけました。
「昨晩のような清風明月の夜の合奏が、そもそも事を起させる夜でありました。そのいきさつのくわしいことは申しますまい、それより拙者も恋をする人になりました。しかし、相手方の愛は、こちらよりも一層哀れなるものでありました。彼女は、はじめて恋愛というものがこの世の中に存在しているということを知ったのです――拙者の方は、必ずしもそうではありません、その時の自分の女房とも恋愛に似たものを経験していたし、その以前にも……とにかく、夫婦というものを、兄弟とより以外の親密に置くことを知らなかった女が、魔の如く、鬼の如く、火の如く、水よりも烈しい、曠初以来、人間を手玉に取って、炎々たるるつぼの中へ投げ込むところの、投げこまれて悔ゆることを知らない恋愛という怖ろしい力に、生れて初めて当面した、友人の妻の力というものは、哀れにも大きなものでありました。拙者とて、若い身空ではあり、もとより日頃より嫌ではないという感じを持っていた、しかも本当の意味での美人らしい美人でしたから――憎かろうはずはないのです」
 関守は感情に圧迫されたように、言葉を区切り、やがて、渋茶を一ぱい飲んで咽喉《のど》をうるおし、
「こういうことの結果は、たいてい世間に見られる通りの破滅の道に急ぐのが通例でしたけれど、幸か不幸か、この怖ろしい二人の間の魔力が、全く予想外に無難に進んで行きましたのは――友人は竹馬の友で、拙者を少しも疑っていない、よし疑っていないまでも、自分の女房に対しての自覚と、特別の愛情とがありさえすれば、おのずから警戒という心が生ずるものなのですが、その友人は全く警戒をしていないのです。自分の女房にあやまちがないと絶対信任しているというよりは、女房があやまちをしたからといっても、それを咎《とが》め立てするほどに女房に対して隔意を持っていないほどに親密――とでも言った方がよいでしょう。ですから、二人の間の火の出るような関係が、少しもさわりなく――そうしてまた友人の妻も、それをよいこととは信じていなかったであろうが、衷心《ちゅうしん》から悪いこととは信じきれないで、愛せねばならぬ人を愛することも、恋せずにはいられない人を恋するのも同じことである――そこで、この奇妙なる関係が、妻は妻として今まで通りに夫を愛し、新たな愛人は愛人として、渾身《こんしん》のあるものを捧げるということに矛盾を感じていなかったようです。ですから、拙者を愛してもまた、彼女は貞淑善良なる友人の妻であることを失いませんでした。拙者としてもまた、おのずからの力で、こう進められて行ったその力に抗しきれないだけで、友人の妻を奪ったとか、おくびにもその痛快をひらめかすとか、嫉妬を煽《あお》るとかいうような振舞は少しもしないで、竹馬の友は竹馬の友として昔に変らず、表面の交際をつづけて行ったのですから、二人は、もう不義の恋ですが、今でも拙者は、不義とはどうしても覚りきれませんが、本当に溶けるような甘い思いを味わって行きました。いや、こんな話は、お聞かせ申すべきはずではござらぬが、さいぜんも申す通り、拙者をして、語るべからざることを語らしむるように誘発された責めは……あなたにある、いや、あなたの鈴慕がそれをそうさせたのだから、拙者として語りつくすところまで語り尽さなければ、話端《はなし》の業がつきないのです。まず、お茶を一つ召上れ」
 渋茶を竜之助にもすすめ、自分もまた飲んで後に語りつづけました。
「ところが、その道ならぬ恋を、どこまでも奥深く味わい尽させるように、我々の環境が出来ていたというのは、拙者の女房です――拙者の女房も、決して悪い女ではありませんでした、家中で身分のいい家の娘で、拙者とは多少の恋愛感情と、相当受難をもって出来た間柄ですから、拙者は、友人の妻との関係が出来てから、友人そのものに対する感じよりも、自分の妻に対して、済まないという良心の働きが先でしたけれども、女というものは、そういう感覚はいっそう鋭敏であって、拙者が良心に済まないと感ずる先に、拙者の挙動を見抜き、感じぬいていました。そこは女ですから、大いに悲観して、拙者の上に重い感情の圧迫が下り
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