方を師友として、あがめ侍《かしず》くようにしようとの課目をきめてしまったようです。
 そうして、筆をさし置いて見ると、いずれをいずれとして、原本の筆が見れば見るほど絶妙だと感ぜずにはおられません。今まで自分が師事し来っていた法帖類は、全く顔色が無いのです。
 僅々《きんきん》たる残欠頁の拓本でさえこの通りの光がある。支那はエライ国だ、支那といえども外国は外国に違いないが、近ごろはやりの毛唐とは品が違う。赤ひげの毛唐はみみずのように横へ筋をのたくらせることのほかには何を知っている。
 支那という国は全く底の知れないエライ国だ、日本人もこれ、支那から文字を持って来て書いていること千有余年に及ぶが、こういう字を書ける奴があるか、平安朝の最初時分の二三人を除いては全く格段の違いだ、ことに近頃の学者や書家共の字ときたら――何だ、お話にもなんにもなったものではない。
 主膳はほとほと、この二つの拓本を見て感に堪えてしまって、しかしまあ、いくら本場だといって、これほどに書ける神様がそう幾人もあるべきはずのものではない、ここいらは本場のうちでも、絶品に近いものに相違ないが、いったい、この筆者は誰なのだ……
 本屋の番頭なんていうやつは、近ごろ半可通がチヤホヤ言うものだから、良寛たら何たらいう田舎寺《いなかでら》の坊主のキザな筆蹟なんぞを洪壁《こうへき》の如く心得ている者共だから、拓本とはいえ、こういう神品には気づかないで、紙屑同様、択り出しに任せているくらいだから、何の誰という当りなんぞはつきはしまいから、尋ねてみるのも無駄だが、筆者の名が知りたいな。完本でないから、印章も欠けているし、奥書もなにもないから、まるで手がかりは無いのだが、本来、拓本[#「拓本」は底本では「択本」]とはいえ、これだけのものを支那から取寄せた奴があったとしてみれば、目のある奴には相違なかったろう。そいつがもう少し念入りな保存法をして置けばよいのに――何か手がかりはないかな。
 主膳はそれを知りたさのあまり、幾度も幾度も、打返し打返し紙面を改めてみたけれども、さっぱり当りがありません。しょうことなしについ裏を返して投げるように眼をやると、唐紙の裏打ちの一端に小さな墨の文字のかきいれがあることを認め、吸いつくように見ると――最初の肉細の方の一本です――
[#ここから1字下げ]
「※[#「衣へん+者」、第3水準1−91−82]遂良《ちょすいりょう》拓本」
[#ここで字下げ終わり]
の五文字。はっ! とした主膳がそれを確める遑《いとま》もなく、第二の肉太の拓本の方の裏を返して見ると、同じように墨のかきいれ――
[#ここから1字下げ]
「等慈寺碑《とうじじひ》拓本、顔師古《がんしこ》筆」
[#ここで字下げ終わり]
 委細わからずに、まずこの細字の記入《かきいれ》が、重大なる手がかりを与えたかの如く、主膳を狂喜させました。

         七十五

 かえって説く、不破の古関の関守の家では、昨夜「関山月」を吹いた関守と、机竜之助とが、白昼炉を擁して、閑々たる物語をしていました。
 この、白昼、炉を擁してという言葉が、一応吟味すると、意味をなしていない言葉のようです。炉というものは、白昼なると黒夜なるとを論ぜず、物を煮たり、人をあたためたりすることのための造作の一つである。これが、白昼、燈火を掲げてというような意味ならば怪《け》しくもあるが、白昼、炉を擁すということは、意味を成さない言葉であるにかかわらず、それがふさわしいものに感ぜらるるほど、この場が明るいものであります。
「御存じの通り、関山月という曲は、もと胡曲でございます、ただ、海風万里関山月、海風万里関山月――と連続的に吹くだけのものです」
 関守は、これ以上には出典も解説も無いものときめてかかっている。竜之助は、それをもっと深く引き出そうともしないで、黙っているうちに、炉の焚火が、いい心持に身をあたためてくれます。
「ところが、その単調な関山月が、拙者の身にとっては容易ならぬ思い出でございましてな。昨晩は、あれを手向《たむ》けの心で吹いておりました。その手向けの一曲が、はからずあなた方を引寄せてしまいました。承ってみれば、この懺悔を私からして打明けてみない限りは、関山月も浮ばれまいかと思います。そもそも誰に罪があるわけではございません、この尺八の一管が悪いのですな」
 関守は、昨夜吹きすさんだ、かなり古色を帯びたところの一管を取り直して、竜之助の前につきつけますと、
「拙者も尺八は好きだ――必ずしも拙者が好きなのではない、父が好んでこれを吹いたものだから、つい見よう見まねに――覚えこんでしまいました」
「一つ吹いてごらんなさい、この竹はなかなか宜《よろ》しい竹です」
 取り直した尺八を、今度は、竜之助の膝の上にのせ
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