きません。
「何だ」
「百姓でございます」
「百姓?」
 苦々しげに見やった街道を、練って行く一隊の蓑笠《みのがさ》があります、その数都合十四五頭もありましょう。練って行くと見たのは、見直すとそうではない、十四五名の蓑笠がみんな数珠《じゅず》つなぎになって、手先に引き立てられて行くのです。
「百姓一揆でございます」
「うむ」
「百姓一揆てやつは、始末に困るそうでございますね」
「始末に困る、百姓はもののわからない奴だ、あいつらがまとまって領主に迫るようなことになると、国の乱れだ」
「物の分らない奴が、党を組むほどあぶないことはございませぬ」
「だから、徳川の政治の方針として、百姓は生かさず殺さずに置け――というのを以て主意としたのだ」
「へえ……」
 番頭は、主膳のいう「活《い》かさず殺さず」がよくわからない。それを主膳が註訳して言う、
「百姓に生活の余裕を与えて置くと、得て我儘《わがまま》が出て一揆を起すようになる、そうかといって、活きるだけの情けを与えて置かなければ、米をとらせることができぬ」
「御尤《ごもっと》も……」
「その活かさず殺さずの呼吸が、領主の腕なんだ」
「御尤も……」
「近ごろ百姓を増長させたのは、あの千葉の佐倉宗五郎という奴だ」
「はーあ」
「あいつは公事好《くじず》きの喧嘩屋みたようなもので、意地でああ楯を突きやがったのだ、それを義民だの、救民だのと持ち上げるものだから、百姓を増長させてしまったのだ」
 主膳の衣《きぬ》を着せずに百姓と義民とを罵《ののし》る歯が、番頭の耳にも少々手痛く食い入ったと見え、
「でございますが、昔のお政治は、百姓は仰せの通り、活かさず殺さずのお慈悲でございましたが、近年は全く活かさず――活かさずだそうでございまして、糸繭《いとまゆ》は売れず、税金は高し、思えばお百姓も哀れなものでございます」
「百姓なんて、人間じゃねえんだ」
「え!」
 番頭が、さすがにそれはごまかしてうなずききれなくなりました。
「でも、農は国の本と申しまして、古《いにし》えの帝王は……」
「百姓をおだてちゃいけない、百姓や又者《またもの》をおだててのさばらせるのが、天下大乱のもとなのだ」
「ははあ、でござんすかな」
「今の世の中がこんなに騒々しくなったのは、又者が騒ぐからだ、又者を増長させて置くその罪だ」
 主膳の論鋒が、百姓から又者の上に来ました。又者というのは、必ずしも百姓町人以下を呼ぶのではなく、主膳の地位として、江戸の旗本以外のものを、すべてを又者と呼んでいるらしい。
 こういう論鋒は、主膳としては峻烈でもなく、僻見《ひがみ》でもなく、真実そう思っているのですから、憚《はばか》りなく言ってのけてしまって、なお平然として石刷をさぐっているのです。
 こうして神尾主膳は、二三の拓本を求めて悠々とこの本屋を立ち出でましたが、時はもう黄昏《たそがれ》です。根岸へすんなり帰るのも、気が利かないような気持がして、なんとなく、池の端の方をブラつこうという気になりました。

         七十三

 神尾主膳はこうして、池の端のきんたいえんの傍を通ると、書画会の崩れらしいのら者が、三々五々と帰って行くのを認めました。いずれも気取ったなりをして、軽薄な笑い話をしながら肩を並べて帰って行く。
 近頃の書画会というやつは、酒と芸者が入らなければ出来ないことになっている。堕落しきった奴等だ。
 主膳は、書画会の崩れののら者を横目で睨《にら》んで行くと、
「え、え、いかあさま――御安直に一つ、いかあさま」
 これもまた、いやに気取った兄いが、三味線弾きをひとり引連れて、客をあさって歩くのを見る。
「いかあさま、御安直に……」
 新内の流しか、こわいろ使いか。そんな奴等にしても、以前は御安直に、御安直に……なんて言わなかったものだ。こいつは人の面さえ見れば、いかあさま、御安直にと言っている。かりにも江戸者に似合わねえしみったれ[#「しみったれ」に傍点]な奴だ、と見ていると、ようやくお得意を一軒くわえたと見え、三味線がシャラシャラと鳴り出して、
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「御安直なるいずれも様に、弁じ上げます標目の儀は、薩摩嵐《さつまあらし》か西南の太平記……」
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 軍鶏《しゃも》を締め殺すような声。
 なんだ、江戸前を誇りとしているこいつらが、新内か、江戸役者のこわいろでもやり出すかと思えば、近頃はやり出したこいつが上方筋か、イヤにきんきんした、そのくせ、みみっちい声を出しゃがる、聞くともなし聞えるところは、あっちを取入れたり、こっちを焼直したり、いま長崎で敵討をはじめたかと思うと、唐の南の方へ繰出して、ガタガタ慄《ふる》えたりなんぞしている。それを一くさりやって、したり面《がお》に歩みをうつしなが
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