ると、さっぱり瓦版の残部を琵琶湖の水に投じてしまい、さて売上高を勘定してみると、自分ながら予想外の利益でありました。
この成功の一歩が清次に教えたことは、いよいよ仕事は宣伝に限るということの信念を確立したことであります。
前代未聞の関ヶ原の模擬戦――それをおったまげて見てしまえばそれまで、笑って過してしまえばそれまで、それを利用したことの働きが、京大阪までの自分の路用を償《つぐな》って余りあるものであります。無から有を生み出すこと、目から見たことを金にかえる術はすなわち宣伝である。
人間の社会は本来、甘く出来ているものだから、臆面なしに吹聴しさえすれば人が信ずる、よし買い被《かぶ》ったところ、売ってしまい、買ってしまったあとでは喧嘩にもならぬ、コケ嚇《おど》しに限る!
清次はこの信念を強く植えつけたと共に、単にコケ嚇しとはいえ、それには時機も時間もある、それを取外してはならない、瓦版が草津へ来てパッタリ売れなくなったように、潮時というものは、何事にもあるものだから、目先を利《き》かして、転換を試みねばならぬという処世術にもよい経験を与えました。そこで清次が考えたのは、宣伝する以上は一時的の宣伝でなく、永久に効果のある名前を売り込んで置きたいということ。
その題目を――道々考えた清次は、最も手っ取り早いことは自分に与えられた渾名《あだな》の宣伝に越したものはない、「のろま[#「のろま」に傍点]」の題名はあまり有難くない題目ではあるが、これを世間から与えられた自分がのろま[#「のろま」に傍点]か、これを自分に与えた世間がのろま[#「のろま」に傍点]か、今後の成功によって目に物を見せてやる、それはよい思いつきだ。
清次は、これから京大阪へ乗込んで仕事をするために、自己の宣伝名として「のろま[#「のろま」に傍点]」を撰み、この名によって、自分とその商品を売り出そうと決心しました。その商売及び商品の品目としては、まだ確定はしていないが、菓子屋でもはじめる時はのろま[#「のろま」に傍点]焼、漬物屋であればのろま[#「のろま」に傍点]漬、その他のろま[#「のろま」に傍点]薬、のろま[#「のろま」に傍点]染、のろま[#「のろま」に傍点]餅、のろま[#「のろま」に傍点]縞、のろま[#「のろま」に傍点]芋、のろま[#「のろま」に傍点]飴《あめ》、のろま[#「のろま」に傍点]酒――何にでも通用する。ここに於て、京大阪の天地に「のろま[#「のろま」に傍点]」の名を圧倒的に宣伝する。これがこの時に萌《きざ》した清次の大望であります。
そうして、その実行の第一着として、大津の町の外《はず》れから、塀であろうと、垣であろうと、軒であろうと、木幹、石面に到るまで、およそ人目に触れ易《やす》いところへは、用意の矢立を取り出して、
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「のろま」
「のろま」
「のろま」
「のろま」
「のろま」
「のろま」
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と書きました。
これが、京都を出て大阪へ向う時は、単に「のろま[#「のろま」に傍点]」の名題だけでは満足しなくなって、いちいちの名題の下へ次のような標語を書き加えました。
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「のろま――少納言様は、のろま[#「のろま」に傍点]はエライと仰せになりました」
「のろま――中納言様は、のろま[#「のろま」に傍点]は愛《う》い奴じゃと仰せになりました」
「のろま――大納言様は、のろま[#「のろま」に傍点]は少し馬鹿だと仰せになりました」
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これを書いて清次はしたり面です。
前に述べた通り、清次の哲学によると、実質のあるものは宣伝をしなくとも人が認める、カラッポな奴こそ宣伝が生命なのである、自分は本多平八郎でもなければ、上杉輝虎でもないから、そこで極力自分の名を自分で売りひろめてのろま[#「のろま」に傍点]の存在を認めしめなければならぬ――しかしそう露骨に自己宣伝をすることは、いかに甘く出来ている世間とはいえ、かえって反動的に軽侮の念を惹《ひ》き起し易いということを知っている、そこで清次はまた雲を炙《あぶ》って月を出すの法を考えました。それは、自分の口から直接に言わず、あらかじめ相当世間の知名の人士の名を以て、その口を借りて、自分を推薦讃美せしむるの賢なるには如《し》かない――そう思いついた清次は、京都を出ると直ぐに、それを実行することを忘れませんでした。彼がまず少納言、中納言、大納言の名を借り用いたのはその第一歩であります。
その後、清次は、あらゆる方面の知名で、そうして人のよい、お目出たそうな人の名を撰んで、いちいちのろま[#「のろま」に傍点]推讃のために利用しました。
この透間《すきま》なき宣伝利用法は大いに利《き》きました。淀の下り船から八軒屋に至
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