して買い集められたものが、白木綿と茜木綿《あかねもめん》の布で、これでできる限り幾多の旗幟《はたのぼり》がこしらえられ、同時に、どこでどう探したのか陣鐘、陣太鼓の古物が見つけられ、これによって野上の本陣を繰出した同勢が無慮百有余人――それに随う見物の無数。
 白と赤との旗幟を、胆吹颪《いぶきおろし》の朝風に靡《なび》かせて、のんのんずいずいと繰出した同勢――その中に馬に乗って、きまり悪げに手綱《たづな》を曳かせた大御所がすなわち道庵先生であります。
 道庵先生、こうして首尾よく大御所にまつり込まれたものの、これは自分の力で得た大御所の地位でないことをよく知っている。すなわち特にこの場で汚なくもお角さんに援助を求め、その力でもってようやく与えられた大御所の地位であることを、よく知っている自分の良心は、さすがに、馬に乗せられて采配を持たせられた時からして、道庵がガラにもなく大いにテレ込んでしまったが、それでもこの同勢が陣貝を高く吹き鳴らし、一鼓六足といったような武者押しをはじめると、またすっかりいい気になって、
「ソレ、進め、進め、かまわねえからずんずん進んで、敵をやっつけろ」
と号令をかけた時分には、もう本当に、自分はお角さんによって辛《かろ》うじて支持されている大御所ではなく、駿遠参の間から起った大御所気分に増長してしまいました。馬側に武者押しをつとめている米友――面白くもねえ、また始まったという面《かお》です。
 お角さんは、都合三人の若い者をつれて、銀杏《ぎんなん》加藤の一行よりは先発してここまで来たのですが――道庵先生をこうして躍らせて置いて、自分は若い者に駕籠《かご》の前後を守らせながらついて行くが、進軍につれて漸くはしゃぎ出す道庵を見ると、苦々しい面をしました。

         六十三

 こうして、この一行は事実上の鳴物入り、それに加うるに夥《おびただ》しい旗差物《はたさしもの》で、まもなく関ヶ原の本場へ着いてしまいました。
 まあ、こんなことで、辛くも野上の本陣だけは道庵先生も危急を免れたけれども、ことはこれで解決したのではありません。むしろ芝居はこれからで、模擬戦は、その陣押しだけで、火蓋《ひぶた》はちっとも切られている次第ではない――
 そこで、関ヶ原の本陣へ来ると、この大軍に休憩を命じたが、さて、これからさきの策戦をどうする。万事お角に引廻されて来た道庵に、この自信がありようはずはない。
 だが、そのお角さんは、これほどの難事をあんまり呑んでかかり過ぎている。ここまで引張り出して、これからどう括《くく》りをつけるかということも、大将軍に向って伺いにも来なければ、打合せにも来ない。
 これを思うと、道庵は気が気ではないものですから、むやみに地酒をあおって、テレ隠しを試みていると、そこへお角さんが現われて、
「先生、軍用金が出来ましたよ、ほかのことにお使いになっちゃいけません、そっくり今日の軍用金にお使いなさい」
「うむ、有難《ありがて》え」
 道庵は思わず盃を取落して自分の頭を叩きました。軍用金のこと、軍用金のこと、実際、悩みはこれだけのことなのである。
「いったい、いくらあるえ!」
「一本ですよ」
「一本というと百両だな」
「そうです」
「占めた!」
「先生、先生もこうして関ヶ原まで来て、ウソでも江戸で有名なお金持のお医者さんにされちまってるんですから、あんまりしみったれな真似《まね》はできませんよ、でも、ばかげた金を使っても笑われますから、一本だけきれいに使っておしまいなさい」
「有難え――一本ありゃ、けっこう使いでがある」
 道庵が勇み立ちました。
 事実、この際、百両を手入らずに一日の一興に使ってしまえば、決して貧弱な費用とは言えないでしょう。おそらく、この街道を通行する旅人で、一日に百両を投じて戦争ごっこをして遊ぶというような珍客は今までなかったに相違ない。
 道庵が、この莫大なる軍用金の不意の出現にうつつを抜かしたのはいいが、その出所に就いて一応吟味しなかったというのは不覚でありました。一にも二にもお角さんのきっぷに信頼してしまって、あの女なら、場合によって百や二百のあぶく銭を投げ出すなんぞは何でもない――とタカを括《くく》り過ぎたのかも知れません。そこを、お角さんが一本釘をさしたつもりか、
「先生、その軍用金は、軍用金として御使用御随意ですが、それを先生に御用立てる前に抵当《かた》をいただいてありますから、あとでかれこれおっしゃってはいけませんよ」
 果してお角さんも、溝《どぶ》へ捨てる金ばかり持っているわけではない。かりそめにも百両の金を投げ出すには投げ出すように、前後の押すところは押してあるに相違ない。
 そう押されても、本来、後暗いにも、明るいにも、抵当に取られて困るほどの抵当物件を持
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