し分け進んでいることが明らかであります。
不破の関には大関と小関とがある。
大関は今や彼等が、もう一歩で当然おとずれていなければならない地点であるが、それがこうして小関の方へ向いてしまっているのは、何か道標があって、そぞろ心に誘われたのか、実際この夜が爽涼なる秋の良夜であって、「秋風や」というのを「名月や」とでも置き換えたらば、そのまま藪《やぶ》も畠も、到るところが不破の関になってしまう、すんなりと志すところまで行ってしまったのでは、あっけないという感じから、わざわざ小路をえらんで、そうして本道とは別に、北国街道を擁するところの不破の小関をまずとぶらわんとするものらしい。この二人は本当に風流人であるが故に、小笹篠原を押し分け押し分け行くうちにも、
[#ここから2字下げ]
霞もる不破の関屋に旅寝して、夢をも得こそとほさざりけれ
人すまぬ不破の関屋の板びさし、あれにし後はただ秋の風
ひま多き不破の関屋はこの程の、しぐれも月もいかにもるらん
[#ここで字下げ終わり]
これらを朗々と謡の調子で口ずさんで、受けつ渡しつする。ややあって、頭上に高く松の木の亭々たるその幹に一本の白旗が結びついて、静かに垂れているのを認める。
「白旗が一旒《いちりゅう》――音もなく竿にもたれている、なんとなく物々しい」
「おやおや、ここに小流れ、御用心さっしゃい」
一人は高く松の上なる白旗に気を取られ、一人は道を横切る小流れに足をすくわれた形である。やがて、叢《くさむら》の間に一つの小さな祠《ほこら》を二人が同時に見つけました。
「おや――この辺が小関のあとでござろうか」
「左様――」
二人がまたここで同時にまよっていると、荒原の夜気深々たるものが身に迫るのを覚える。
どちらともなしに、
「誰か後ろから人が来るような気配《けはい》が致すではござらぬか」
「左様、さいぜんから左様な心持もいたしました、誰やら後を慕うて参ったように思われもいたしたが、耳を澄ますとやはりそのわれとわが足のこだまでござったげな」
「左様ならば仔細ござらぬ」
「モシ――」
祠のうしろの尾花の茂みから、人の声がしたのである。これも二人同時に聞きは聞いたが、それは空耳《そらみみ》に違いないと打消すことも同時でした。
「もうかれこれ八丁はまいりましたな」
「左様――小関のあとは、いずれならんとたずねわずろう」
「モシ――あなた方は、御風流で夜の関ヶ原を御遊放の方とお察し申し上げますが、少々おたずね致したいのは」
ここまで明瞭に呼びかけられてみると、もう空耳だとか、僻耳《ひがみみ》だとか、自分の感覚を疑ってはおられない。
「どなたでござる」
「はい、わたくしも同じく旅の者でございまして、関ヶ原の秋の夜があんまり淋しいものでございますから、宿をうかれてこれまでまいりました」
「御女性《ごにょしょう》のお身ではござらぬか」
「はい」
「きつい御風流、全くこれ、恐れ入りました」
二人は同時に、松の木のうしろ、尾花かるかやの中を見込んで、そこに覆面した――しかし同じ覆面でも、これより先に寝物語の里から、妙応寺坂をふらふらと下りにかかった覆面の遊魂とは全く別物です――しとやかな婦人が一人、全くともをも連れないで、この荒原にさまよい出でているということは、これこそ宙にさまよう遊魂のたぐいでなければ、自分たちの同病者以外のものでありようはずはありません。
二人の風流人は、風流の地に落ちないことを衷心《ちゅうしん》よろこびに堪えなかったようです。自分たちは寝物語の里での失敗を、関ヶ原の夜でいま充分に取返しつつあるこの良夜、旅の身にして、しかも女性でありながら、この名所と、この良夜にそむきかねてたった一人で、もはや自分たちの先《せん》を越してまで不破の小関へ、あとをとぶろうている者が存在していることは、せちがらきことのみ多かるこのうつし世に於ける風流道のための名誉でなくて何であろう。
二人が同時に敬服して、全く恐れ入ったというのは、お世辞のみではなく……
「清風明月、何という良夜でございましょう。この良夜を古関のあとに来て、このままで過すは、まさに良夜にそむき、名所にそむき、風流にそむくものでござろう。されば我々は、寝物語の里を経て、ついうかうかとこれまで迷い込みましたのは、古関の清興は後まわしと致し、先以《まずもっ》て小関の人訪わぬ昔をとぶらわばやとの寸志でござった」
「左様でございますか――御風流、まことにお羨《うらや》ましいことでございます」
覆面の女は、はっきりした物の言いよう。しとやかで、そうしてわるびれてはいない。
「どちらの方面からお越しになりましたな」
一人の男がたずねると、女はそれを押返して、
「失礼ながら、あなた様方は、いずれからお越しになりました」
「拙者共は……
前へ
次へ
全110ページ中54ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング