「お名乗り下さい」
「は」
 風流人二人は、機先を制せられた気味です。
 事実、ここへは関所をしのぶ風流のために来たので、お関所のお調べを受けんがために来たのではないのです。まさか、この女性が御関所役人の変装で、自分たちを胡乱《うろん》と見こみ、詰問のために出た者でないと信じて疑わなかったのは、関所とはいえ、不破の関は千何百年前の不破の関で、その以後は、政治的にも、軍事的にも、存在は認められていない、純粋の名所としてのみの関所であることを、充分に呑込んでいるからであります。

         四十五

 だが、二人の風流人は故意か、好意か、この思いがけない関所あらために対し、神妙に返事をして、郷貫と姓名とを名乗ってしまいました。
「拙者は、越前敦賀藩の湯浅五助」
「拙者は、紀州和歌山の藤堂仁右衛門」
 二人がこう言って尋常に名乗ると、直ぐそのあとをついて、覆面の女性が問いかけました、
「では、あなた方にお聞き申せば、たしかにわかると存じますが、あの――大谷刑部少輔《おおたにぎょうぶしょうゆう》の首の埋めてあるところはどちらでございましょう」
「何と仰せらるる、大谷刑部少輔殿の御首《みしるし》の在所《ありか》?」
「はい、わたくしの力では、尋ねあぐんでいるところでございます、あなた方ならばおわかりと存じますが」
「これはまた、途方もないお尋ねもの――して、あなたは、何のよしで今頃それをお尋ねになる?」
「何のよしもござりませぬ、ただ、あなた方にお尋ねしたら、それがわかるかと存じまして」
「以ての外――よしそれを存じていたところで、他人に明かすような拙者共ではござらぬ」
「では、仕方がございません」
 こう言うと、おのずからこの怪しい女性と、風流の二人連れとは、左右に立別れてしまいました。
「驚きましたな」
「驚きました」
「我々でたらめの姓名を名乗ったに、あわてもせず、刑部少輔が首のありかを尋ぬる女性――身の毛がよだちました」
「足が、おのずから戦《おのの》きながら、やっとここまで来て生ける心地が致した」
「風流もここまで来ては空怖ろしい、胆吹山には近来、女賊の巨魁《きょかい》が籠《こも》っているという噂だが、そんなんではあるまいか」
「恐ろしい」
 二人の風流人は、小関の白旗の下から、飛ぶが如くに八丁の道を、産土八幡《うぶすなはちまん》の前の本道へ出てしまいました。
 本道といえども、深夜の関ヶ原ですから、藪《やぶ》も、畠も、まばらに立ち並ぶ民家でさえが、みな一様に不破の関。
 それでもここまで来ると、恐怖心が解け去って、風流心が追加してきました。
「藪も、畠も、山も、川も、森も、林も、村も、小家も、みな不破の関――」
「明月や到るところが不破の関」
 こう言って、関ヶ原の本道の真中に立って、美濃へつづく曠原の秋の夜に眼を放つと――
「や!」
 つい間近な足許《あしもと》の一地を一点のぞんで、一人が立ちすくむと、それにおぶさるように一人も立ちすくみました。
「や!」
「人が……」
「人が斬られている」
 いかに風流人でも、街道の真中に、人命が一つ、朱を流して抛《ほう》り出されているという現象をば、無条件では風流化しきれない。
「無慙《むざん》!」
 全く無慙なことでした。
「飛脚ではないか」
「飛脚|体《てい》のものに見ゆるが……」
「雲助ではないか」
「折助ではないか」
「デモ倉ではないか」
「そうでなければプロ亀」
「江戸川乱歩か」
「大下|宇陀児《うだる》か」
「ただし加賀爪甲斐守ではないか」
「坂部三十郎とも思われない……」
 自分らのせっかくの風流がここまで来て、粉砕されたのみならず、かかり合い上、どうしてもこれをこのままではごまかしきれない立場に立到っている。
 声をあげて大きく叫ぼうか。叫んだところで、この場合、そうさっきゅうに駈けつける人があろうとも思われぬ。やむを得ない、一人がこの場に立番して、一人が然《しか》るべきところまではせつけて報告することだ。だが、この二つの役廻りはどちらに廻ってもぞっとしない。ここで、ひとり、斬られ人を守っていることの無気味さは、これからひとり陣屋まで走って行く無気味さと相譲らない。
 二人の風流人は、風流気も全く醒《さ》めてしまって、その処分にうろたえきっているところへ、東の方からハタハタと人が馳《は》せて来る物音を耳にしました。
 敵か、味方か、それは知れないが、逃れらるべき場合ではないと観念最中へはせつけたのは、まだうら若い一個の少年に相違ない。
「曲者《くせもの》! 動くな」
と先方が叫んで、鞘走《さやばし》る刀をかいこみ、かいこみ、はせつけて来ました。
「いや、拙者共は曲者ではござらぬ、通りがかりの旅の者、このところで計らずも一人の負傷者を発見いたしたこと故に、いか
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