には役者買いが一番でしょう。役者を買って、それを殿様に仕立てたり、お小姓にしつらえたり、或る時は奴《やっこ》にしておともにつれて歩いたりなんぞすれば、好きと自由で、後腐れがなくて面白いじゃないの。だが、きっと長いうちには飽きるものよ。はじめに惚れたのは大抵あとがいけないってね、嫌になった日には、見るのも嫌になるんですって――そこへ行くと、はじめのうちはいやでいやでたまらなかった南瓜野郎《かぼちゃやろう》が、長いうちには愛情が出て、飽きも飽かれもせぬなんてこともあるそうじゃありませんか。そうなるとまた別な味わいが出て来て、男っぷりなんぞは問題じゃなくなるんですとさ。
 早い話が、あの胡見沢《くるみざわ》さ。あのくらい色が黒くて、デブで、しつこくって、助平で、ケチな男ってありゃしないが、でも、長いあいだつき合っているといいところもあってよ。
 どこがいいかって、あなた、そりゃつき合ってみなけりゃわかりません。芸者や役者になると、万人が万人、綺麗《きれい》だから、のぼせてしまいたがるんですけれど、玄人《くろうと》は玄人として黒っぽいところに、だんだん味が出て来ますよ。そうですね、胡見沢なんぞも、あれで黒人《くろうと》なんでしょうよ、色が黒いから。
 わたしの知っている大家のお姫様で、男でありさえすりゃ、誰でも択好《よりごの》みをしないというお姫様がありました。ああなっても困りますねえ。それで御当人は、優れた御縹緻《ごきりょう》なんですから恐れ入りますねえ。仲間《ちゅうげん》小者《こもの》でも、出入りの小間物屋でもなんでも、お気が向けばお話合いになろうというのだから情けないったら。
 つまらない奴を相手として浮名を立てるのは、馬鹿の骨頂だが、あんまり身分が違っても楽じゃないわねえ。
 まあ、飛騨の国でも、悪源太義平公に可愛がられたばっかりで、八重菊、八重牡丹の二人の姉妹が、籠《かご》の渡しから飛んで心中をしてしまいました。
 それから、南朝の時の忠臣で、畑六郎左衛門て豪傑がございましたろう、あの方がやっぱり、飛騨の木地師の娘に迷いこんで、身分違いというのを無理矢理にお手がついたものだから、とうとう六郎左衛門が戦死したと聞いて、その後を追いかけ心中というわけなんです。
 一口に木地師木地師って言いますけれど、木地師の娘にはあれで、色が白くって、愛嬌があって、とてもぽっとり者があるんだから、ずいぶん艶物語が起りまさあね。だが、いくらいい人に思われたからって、その人が死んだら、自分も追っかけ心中をしなくちゃならないというのは酷ですね。その身上《しんしょう》を譲りうけて、したい三昧《ざんまい》をして、安心に暮らして行ける身の上になるんならいいけれど。
 そこへ行くと、後腐れのない相手を選んで、思う存分、遊んだり遊ばれたりするのが、いちばん賢い――とはいうものの、あの穀屋のイヤなおばさんのようでも困りますねえ。
 自分の目下の男という男を片っぱしから征服――というわけなんだから、たれに遠慮も要らないようなものなのに、それでも、末はとうとう、命を取ったのか取られたのかしてしまって、亡骸《なきがら》までがあのざまです――そうしてみると、色恋なんていうことは、何が何やらわからない――
 ああ、酔った、酔った、田舎宿《いなかやど》のくせに、いやにいい酒を飲ませるねえ。
 この辺でお蘭どのは、ついに前後不覚にも、まどろんでしまいました。旅の疲れもあり、ここまで伸《の》したという安心もあるものだから、そのまどろみが、いつか本物の熟睡のようになってしまったのは、思い設けぬ不覚でした。
 そこで、幾時間かの後、このまどろみから醒《さ》めた時のお蘭どのの周章と、狼狽《ろうばい》と、たれも見ていないのに、それを繕おうとするテレ隠しとは見られたものではありません。
「もし、ちょいと近江のお方……」
 呼びかけてみた時分には、四辺《あたり》の気分が、まどろみに落ちた宵の口とは大分ちがいます。かなり夜は更けて、あの時よりは予想外の時が経っていると見なければならないのです。
「もし、近江のお方――寝物語の里じゃありませんか、今晩は眠らないこと、眠らせないこと、お約束、そうして、たっぷりおのろけを……」
 自分の落度を先方へ向ってなすりつけてみようとしたが、それも良心が許さないものか、なんとなく空おそろしくなって、
「ねえ、あなた、ばかばかしいじゃありませんか、大晦日《おおみそか》の年越しじゃあるまいし、寝物語の里だからといって、ワザワザ一晩わかれて寝なけりゃならないはずの掟《おきて》があるわけのものじゃありますまい。なんだか淋しくなりましたね、わたしがそちらへ行きますよ、さあ、美濃の国はこれでお暇《いとま》、これから近江へお引きうつり……」
 といっても、この国越えは、枕
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