が、自分なんぞは、のろま[#「のろま」に傍点]の清次だから、そんなに気取っているガラではない、なんでもかんでも、自分で自分を吹聴してあるかなければ、人が知ってくれない――ということにあるようです。
 こうしてがんりき[#「がんりき」に傍点]は、のろま[#「のろま」に傍点]の清次の講談師以上の雄弁を聞かせられながら、くすぐったい思いをしたり、冷汗を流したりなんぞしつつあるうちに、話が盛り沢山なために、けっこう暇つぶしになって、そうして、例の街道を楽々として、美濃の金山へ突破してしまいました。

         三十九

 こうして、がんりき[#「がんりき」に傍点]と、のろま[#「のろま」に傍点]の清次は、飛騨の国の境を出で、その晩に、竜之助と淫婦のお蘭が一夜を明かした本陣の宿まで来てみたが、がんりき[#「がんりき」に傍点]は、そこで得意の一応の偵察を試みたけれども、ここで、幾日か前の晩、女が一人、吊《つる》し斬りにされたという噂《うわさ》もない。亭主や女中に鎌をかけてみても、要領を得ないこと夥《おびただ》しい――水を飲むふりをして裏庭から、土蔵、裏二階をまで横眼で睨《にら》んだけれども、人が隠れ忍んでいるような気色は一向ないから、がんりき[#「がんりき」に傍点]は先を急ぐ気になりました。
 この調子で、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百と、のろま[#「のろま」に傍点]の清次とは、相連れて美濃路の旅をつづける。がんりき[#「がんりき」に傍点]としては、国境を出てもやっぱり変装は改めず、ただ、もどかしいのは、のろま[#「のろま」に傍点]のために足の調子を合わせてやらねばならないことで、それでも二人はこうして、ついに美濃の国、垂井《たるい》の宿《しゅく》まで無事に来てしまいました。
 垂井は、美濃路と木曾路の振分け路――垂井の泉をむすんで、さあ、これから関ヶ原を越えて近江路と、心を定めて宿をとったその晩に、巷《ちまた》で風説を聞きました。
 明日、関ヶ原で合戦がある――片や長州毛利、片や水戸様。
 慶長五年の仕返しが、明日からこの関ヶ原に於て行われる。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]も、のろま[#「のろま」に傍点]も、変な気になりました。なるほど、その風説がかなり人気にはなっているが、土地の空気というものは、あんまり緊張もしていないし、さのみ殺気立っているというわけでもない。慶長五年の時は、この辺はみんな焼き払われたものだそうだが、今日はそのわりに人が落着いている。
 なおよく聞いてみると、合戦は合戦だが、模擬戦に過ぎないということ。
 こんどお江戸から、さるお金持の好奇《ものずき》なお医者さんが来て、この関ヶ原にあんぽつを駐《とど》め、道中の雲助の溢《あぶ》れをすっかり掻《か》き集め、それにこのあたりの人夫をかり出して、昔の関ヶ原合戦の型をひとつ地で行ってみようとの目論見《もくろみ》だ。
 知っている人が聞けば、お金持の江戸のお医者さんがおかしい、お金持にも、お金持たずにも、今時そんな酔興をやってみようとするお客様は、道庵先生のほかにあるまいことはわかっているが、がんりき[#「がんりき」に傍点]も、のろま[#「のろま」に傍点]もそれを知らん由はない。
 なるほど、そんなこともありそうなことだ、好事癖《こうずへき》の人が、昔の関ヶ原合戦の地の理を実地に調べようとして、模擬戦の人配りをやってみようとは、ありそうなことだ。研究とすれば感心なことだし、お道楽としても悪いこととは言えない。
「まあ、金の有り余る奴は何でもやるがいいや、こちとらは……」
 と言って、がんりき[#「がんりき」に傍点]は先を急ぐこなし。のろま[#「のろま」に傍点]はそれと違って、
「そいつは、面白い目論見でござんすね、後学のために、そのなれ合い合戦をひとつ見物さしていただくことに致しやんしょう」
 ここで、二人の意見が二つに分れました。一人は、そんな酔興は見たくもないから突破して前進すると言うし、一人は、こういう目論見に出くわすことは二度とない機会だから、一日や二日|逗留《とうりゅう》しても見物して行きたいと言う。意見が二派に分れたが、前進論者は存外淡泊に、
「では、屑屋さん、お前はひとり残って合戦ごっこを見物して行きな、わっしゃあ一人で、一足お先に行くから」
 それで、両説が円満に妥協しました。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]としては、のろま[#「のろま」に傍点]を引っぱって歩くよりも、もうこの辺で振切って、放れ業の馬力をかけた方がよろしい。だが、そこには一応のお愛想もある。
「それから屑屋さん、関ヶ原を越すと美濃と近江の境にならあ――あそこに、それ、寝物語、車返しの里という洒落《しゃれ》たところがある、わっしゃ一足さきに行って、寝物語へ陣取っているつ
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