茂太郎が、おとなしく受入れませんでした。
「殿様、それは違います」
「何だ」
「殿様のおっしゃることは、それは違うとわたしは思います」
お松が聞き兼ねて、たしなめました、
「何を言うのです、茂ちゃん」
茂太郎は屈せず、
「いいえ、本当のことを言うのです、いま殿様は、船の中の者がみんな気を揃えて働いてくれることが何より嬉しいとおっしゃいましたけれど、それは、或る人には当っていますけれど、ある人には当りません」
「茂ちゃん、お前、その物言いは何です、生意気だと言われますよ」
「あたいは本当のことを言っているんですよ、お松様、今この船の中の人は、みんな船長さんのために気を揃えて働いているようですけれど、そうばかりではありません、働かないで楽をしている人があります」
「そんな人はありませんよ、一人だって。みんな、それ相当の持場で何か働いておりますよ」
「ところが、働かない人が少なくとも一人はあります、それは、あたいのお嬢様です」
「あ、もゆるさんのこと」
「そうです、そうです、あのお嬢さんだけは、ちっとも働きません、お嬢さんばっかりは働かないで、遊んで食べています」
「もゆるさんは御病気なんですもの」
お松が取りなして言うと、茂太郎はそれを打消して、
「いいえ、病気ではありません、病気でもないのに、みんながそれぞれ一生懸命働いているのに、あの人ばかりが働かないで、遊んで食べています」
駒井も少し苦《にが》い面《かお》をしました。お松は、茂太郎に、そんなにぐんぐん言わせまいと思うけれど、ちょっと手が出せないでいるのを、茂太郎は一向ひるまずに続けました、
「それにマドロス君もよくないと思います、お嬢さんが病気でもないのに、横着をきめて遊んで寝てばっかりいるのをいいことにして、マドロス君が、おいしいものを運んではお嬢様に食べさせているのです」
「そんなことはありません、茂ちゃん、ほんとうにお前は、よけいなことを言いつけ口するものじゃありませんよ」
「よけいなことじゃないのです、本当のことを言ってるのです。で、かわいそうなものは金椎さんです、せっかく丹精して、皆さんに御馳走して上げようとして拵《こしら》えたお料理のいいところを、いつか知らずマドロス君に持って行かれてしまっています。マドロス君はそれを持って行っては旨《うま》そうにお嬢さんと二人でばっかり食べてしまうのです」
「茂ちゃん、およしなさい、そんなことも一度や二度あったかもしれませんが、それを殿様の前で素破抜《すっぱぬ》いてしまうなんて」
「一度や二度じゃありません、いつでもそうです、ですから初物《はつもの》のおいしいところは、二人でみんな食べてしまっているのです、金椎さんも苦い面をしますけれど、あの人は耳が悪いのに聖人ですからね、また機嫌を取直して、誰にも何とも言わないで、またお料理をこしらえ直して皆さんに食べさせてあげるのです」
駒井も、お松も、茂太郎の素破抜きを、もはや何ともすることができないで、言うだけは言わせてしまわなければならないような羽目になっていると、
「この間もあたいが、何の気もなく部屋へ下りて見ると、マドロス君とお嬢さんとが旨そうにお饅頭《まんじゅう》を食べていました。あたいが行ったので二人はちょっときまりの悪い面をしましたけれど、お嬢さんが、茂ちゃん、お前も仲間におなり、そうしてお饅頭を半分お食べな……と言いましたけれど、あたいはいやですと言って甲板へ出て来てしまいました。あたいは人の悪口を告口するわけではありませんけれど、一つの船の中でみんなが気を揃えて働いているなかに、寝ていて人の拵えたお饅頭を食べているお嬢様の行いはよくないと思います。それもよくないが、せっかく金椎さんが丹精して皆さんに旨《うま》く食べさせようとしてこしらえたお料理やお饅頭を、盗んで来て食べたり、食べさせたりするマドロス君の行いも、道に外《はず》れていると思います」
「茂ちゃん、もうおよし、そうしてお前は、あちらへ行って登様のお守をなさい」
お松はついに、厳しく叱りました。叱られて船長室を飛び出した茂太郎、上甲板の方で、早くもその即興の出鱈目《でたらめ》歌が聞えます――
[#ここから2字下げ]
お饅頭をこしらえる人と
それを盗む人
せっかく、殿様が
新しい国をこしらえても
汗水を流して働く人と
寝ていてお饅頭を食べる人とが
あってはなんにもなりますまい
駒井甚三郎は船を作り
田山白雲は絵をうつし
裏宿の七兵衛は耕し
お松様は教育をやり
金椎君は料理をし
治郎作さん父子は船頭をし
乳母《ばあや》はお守をし
登様は育ち
清澄の茂太郎は歌う
それだのに
兵部の娘もゆるさんは
病気でもないのに
寝て旨《うま》いものを食べています
それはマドロス君が
持って行ってやるからです
お饅頭
前へ
次へ
全110ページ中44ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング