らずいけん》が設計したとかしないとか――尾上川の河口が押し出す土砂で、せっかくの良港を埋めてしまう、これを何とかせぬことには、この東北第一の名をうたわれた港も、やがてさびれてしまうだろう――なんという心配も、七兵衛には少し縁遠い。ただ、名にし負う奥州仙台|陸奥守《むつのかみ》六十八万石の御城下近いところであることによって、仙台の城下はおろか、塩釜、松島、金華山等の日本中に名だたる名所は、一通りこの機会に見ておこうと企てました。
だが、塩釜も、松島も、金華山も、仙台の城下も、ここを根拠として渡り歩いていれば、普通には優に二十日や三十日の暇をつぶすに充分でありますけれども、七兵衛の迅足をもってしては、まことにあっけないものでありました。それでも瑞巌寺《ずいがんじ》の建築を考証したり、例の田山白雲が憧れている観瀾亭の壁画なんぞを玩味《がんみ》したりするだけの素養があればだが、それも七兵衛には望むのが無理です。
なるほど、いい景色だなあ、たいしたものだなあ、さすがは仙台様だ――といったような、赤毛布《あかげっと》が誰もする通り一遍の感嘆のほかには、七兵衛として、別段に名所古蹟を縦横から見直すという手段はありません。
金華山へ行って見たところで、野飼いの鹿がいる、猿がいる、それを珍しがって、やがて頂上へ登って見ると、そこの絶景に感心するよりは、更に一段の高所に登ったために、まず心頭と眼底に映り来《きた》るのは駒井の殿様の船の姿であって――それを眼の届く限り、内外の海の面に向って当りをつけて見たが無駄であった、というだけのものでありました。
多賀城の石碑《いしぶみ》へも、名所の一つだからと案内されるままに行って見ましたけれど、これが日本有数の古碑であることの考古的興味からではなく、碑面に刻まれた、
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「多賀城去京一千五百里、去|蝦夷《えぞ》界一百二十里、去|常陸《ひたち》国界四百十二里、去|下野《しもつけ》国界二百七十四里、去|靺鞨国《まっかつこく》三千里」
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とあるのをおぼろげに読ませられ、
「はて、京を去る一千五百里――これは、ちっと掛値がありそうだ。蝦夷境を去る一百二十里のことは知らないが、常陸の国界を去る四百十二里は飛ばし過ぎる。これは現に自分が歩んで来た道だが――四百十二里はヨタだね。それからすると、無論下野の二百七十四里もいけない。従って京の一千五百里もあてにならぬことの骨頂だが、靺鞨国というイヤにむずかしい国名はあんまり見かけないが、唐天竺《からてんじく》のことでもあるかな。せっかくの石碑がこうヨタで固められては有難くねえ――だが待てよ、これは昔の里数かも知れねえぞ――それとも支那里数で行っているのか」
七兵衛としての興味と疑問は、そんな程度のものでした。
ですから、僅々《きんきん》数日の間に、すべての名所古蹟といったようなものを見尽してしまうと、彼の天性の迅足の髀肉《ひにく》が、徒《いたず》らに肥えるよりほかはせん術《すべ》がなき姿です。
でも、その数日の間に、駒井の船が姿を見せないことは前日の如く――それで退屈のやる瀬なき七兵衛は、風物を見、海面を睨めていることに屈託した彼は、やっぱり、人を見ることの興味によってのほかに慰められそうなものはない。
人といったところで、この辺の人とは気風もしっくりしないし、それに第一、まるっきり言葉がわからない。
何といっても仙台の城下は東北第一の都であるから、人を見るには、あれに越したことはないと、七兵衛は今日しもまた漫然と、すでに概念は見つくした仙台の城下の賑やかなところへ立戻ろうとして、塩釜神社の下まできた。そこでゆくりなく、塩釜|芸妓《げいしゃ》の一群が、藤色模様の揃いを着て、「塩釜じんく」を踊っているのを見ました。
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塩釜かいどう
白菊|垣《かき》に
何を聞く聞く
ありゃ便りきく
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三十五
塩釜での盛んな景気の中を足早に抜け去って、早くも仙台の城下へ着いたけれども、
「塩釜じんくが、今日はどうも妙に心を惹《ひ》いて、耳に残っている」
常盤町というところへ入るともなく足を踏み込んだ七兵衛が、そこでまた仙台芸妓の一群が取りすましてやって来たのにぶっつかりました。
「今日はいやに芸妓に突き当る日だ」
七兵衛は、その取りすまして行く芸妓たちの後ろ姿をながめておりました。
七兵衛とても、年甲斐もなく、女にうつつを抜かしたというわけではない。がんりき[#「がんりき」に傍点]の百に言わせると、
「仙台てところには、美《い》い女は生れて来ねえんだそうだ、というのはそれ、昔、仙台様のうちの誰かが、高尾というすてきないい女をつるし斬りに斬ってしまった、その祟《た
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