……」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は意気込んで、小箱の蓋で縁を丁と叩き、
「何とかしてやらざあなるめえ」
と見得《みえ》をきったのです。福松は少々白けて、
「では、どうして上げようというの」
「頼まれたわけでもなんでもねえが、男となってみりゃ、お蘭さんの難儀を知って見遁《みのが》しはできねえ、これから後を追いかけて、この路用を渡して上げて、ずいぶん路用を安心させてやるのさ」
「え、え、兄さん、お前さんがこのお金その他を、わざわざお蘭さんに届けに行ってあげようというの?」
「まあ、そんなものさ、そのつもりでこの通り、身ごしらえ、足ごしらえをして来たんだ、時分もちょうどよかりそうだし、ところも美濃路と聞いたから、旅には覚えのあるこの兄さんのことだ、あとを追いかけりゃ、蛇《じゃ》の道は蛇《へび》というわけでもねえが、下手な目あかしよりはちっと眼は利《き》いている、ここ幾日のうちには、首尾よくお手渡しをした上で、またお前さんのところまで舞い戻って来てお目にかかる。ところで……」
がんりき[#「がんりき」に傍点]はこう言って、はや出立もし兼ねまじき勢いを見せ、箱を包み返しにかかりながら、呆れ返っている福松の前へ、切餅一つをポンと投げ出し、
「三つあるうちの一つだけは、骨折り賃に天引としてこっちへ頂いて置いても罪はあるめえ、御神燈冥利というものだ、遠慮なく取って置いてお茶の代りにしな」
百両の金を気前よく――いくら人の物だといっても、そう気前よく投げ出されてみると、何はともあれ女として、見得も、外聞も、怖れも忘れて、有頂天《うちょうてん》とならざるを得ない。
「まあ、こんな天引をいただいて、ほんとうに罰《ばち》は当らないか知ら――そうさねえ、もともと元も子もないと思い込んでいたものを、お前さんがそれを届けに行ってやる御親切から比べりゃ、なんでもないわねえ、済まないねえ――わたし、嬉しいわ」
百両の金包を額に押当ててこすりつけた福松。
その時、表の御神燈の方をハタハタと叩く音がして、
「福松どの、福松どの――」
その声は不思議や、宇津木兵馬の声です。
二十九
思いがけなく、外からおとのう人の声を聞くと、家の中の二人が一時大あわてにあわてたようであったが、そこはさるもの、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は早くも裏口から脱兎のように飛び出し、芸妓の福松がなにくわぬ面《かお》で格子をガラリとあけ、
「まあ、数馬様でいらっしゃいましたか、こんなに遅く、どうあそばしたのでございます」
「実は……」
兵馬が閾《しきい》を跨《また》がないで何をか言わんとするのを、芸妓は、
「まあまあよろしいじゃございませんか、わたしのところだって鬼ばっかりはおりません、少しお上りあそばせよ」
「いや、ここでよろしい、ちょっと耳を貸してもらいたいのだ」
「まあ、そうおっしゃらずに、少し……」
「いや、ここがよろしい、ちょっと聞いてもらいたいことがある」
何か内証話があるらしいそぶり。福松は引寄せられて、
「何でございますか」
「あの……」
兵馬も面を突き出して福松の耳に口をつけようとすると、紛《ぷん》として白粉の匂いが鼻を打ちました。
「あ、よろしうございますとも、それはよう心得ておりますから、そういうことがあり次第、何を差置いてもあなた様にお知らせを致します」
兵馬の囁《ささや》きを、芸妓の福松は委細諒承してしまっての返事がこれです。
「では、頼みます」
「まあ、よろしうございます、もうこんなに遅いのですから、お泊りあそばしていらっしゃいましな。あら、わたしのところじゃおいや……」
「そうしてはおられません」
兵馬はこう言って、御神燈の下を辞してしまいました。
うつらうつらと、宮川の岸を歩きつつある兵馬の心頭に残っているのが、あの脂粉《しふん》の匂いです。目先にちらついているのは、御神燈の光へ横面《よこがお》を突き出して、兵馬の方へ耳を寄せたあの頬っぺたの肉づきと、それから島田の乱れたのです。
兵馬は、なんだかうなされるような気になりました。吉原で魂を躍動させたような血が、どうやら巡り来って自分を圧えつけるような気持がしただけではありません、「泊っておいでなさいましな、あら、わたしのところじゃおいや……」と言ったのが、なんだか耳の底に残っていてならぬ。
泊って行けと言われたなら、泊って来たらよかったじゃないか――そんなにも兵馬は考えました。
だが、宿所にはお雪ちゃんが待っている。待っていないまでも、用向以外に人の家へ寝泊りして来るいわれはない。泊って行けと言ったのも[#「言ったのも」は底本では「行ったのも」]、「あら、わたしのところじゃ、おいやなの……」と言ったのも、先方の単純なお世辞で、こちらがそれに甘ん
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