う、あの東|亜細亜《アジア》特有の小動物はいない。
胸を撫で下ろすと共に、紙屑買ののろま[#「のろま」に傍点]清次はカンテラをつけて、またも現場のせせり掘りをはじめました。
現場をせせくっているうちに、のろま[#「のろま」に傍点]清次も変な気になったものと見え、
「へ、へ、へ、この後家様、これがなア、ずいぶん罪つくりの後家様だなあ。話を聞くと、屍体とはいえまだ脂っけがたっぷりで、腋《わき》の下の毛なんぞも真黒けだってなあ。生かして置けば、まだまだどのくれえ男をおもちゃにしたことかわからねえ。ほんとうに天性の淫乱というのが、この穀屋の後家様だあな。へ、へ、浅さんもかわいそうに腎虚《じんきょ》で殺されちまったなあ。高山の町からもえらいのが出たものさ。この穀屋の後家さんが関で、それに続いちゃ、あの嘉助が娘《あま》っ子《こ》のお蘭さんだなあ。あのお蘭さんなら、イヤなおばさんのあとはつげらあ、後生《こうせい》おそるべしだなあ。昔、上《うえ》つ方《がた》に、すてきもない淫乱の後家さんがあって、死んでから後、墓地を掘り返して見たら、黄色い水がだらだらと棺の内外に流れて始末におえなかったと、古今著聞集という本に書いてあるとやら。この穀屋の後家さんの屍体なんぞも土葬にすりゃその伝だろう。イヤ、土葬にしなくても、いやにこの辺がじめじめしてきた、イヤにべとべとした泥が手につきやがらあ、いい気持はしねえなあ」
こんなことをつぶやきながら、もしや金の指はめ[#「はめ」に傍点]でも、もしも銀の髪飾りでも、もしや珊瑚樹《さんごじゅ》の焼残りでも――当節は貴金属がばかに値がいい、江戸の芝浦で、焼あとのゴミをあさって大物をせせり出して夜逃げをしてしまった貧乏人があったそうだが、成金になって夜逃げもおかしいが、この不景気に大金を手に入れた日にゃあ、夜逃げでもしなくちゃあ――仲間に食い倒されてしまう、としきりにひとり言を言い、広くもあらぬ屍体の焼かれあとを一心不乱にせせり散らしている。
「イイ気持はしねえ、どうもイヤな気持になったなあ、穀屋の後家様、お前はしてえ三昧《ざんめえ》をして死んだんだからいいようなものの、その焼跡をせせくっている、この紙屑屋の清次なんぞは、してえことをしたくってもできねえんですぜ、イヤな気持になったよ、穀屋の淫乱後家さん……」
のろま[#「のろま」に傍点]清次が、うわずったたわごと[#「たわごと」に傍点]を吐きながら、地面をせせくっていると、
「わっ! 貴様、そこに何しとる」
お国なまりの大喝《だいかつ》。
「へッ!」
のろま[#「のろま」に傍点]清次は腰を抜かしてしまいました。
今度のは東亜細亜特有の小動物ではない、まさしく、日本の国の或る地方の作りなまり[#「なまり」に傍点]を持った人間の声が、自分の仕草を見届けた上に、一種の威圧を以て頭から一喝して来たものだから、のろま[#「のろま」に傍点]清次はほんとうに驚いてしまい、ヘタヘタと腰を抜かしたけれど、その抜かした腰のままで、いざりが夕立に遭ったように河原の真中へ逃げ出してしまいました。
紙屑買ののろま[#「のろま」に傍点]清次が、一たまりもなく逃げ出した後で、その置きっ放しのカンテラを取り上げて、
「ザマあ見やがれ」
苦笑いしながら、現場を一通り照らして見ている男。これが、さきほどまで捨小舟の中で、うたた寝をしていたがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵でありました。
それにしてもたった今、うしろからかけたおどしの一喝、
「わっ! 貴様、そこに何しとる[#「とる」に傍点]」
何しとるというような訛《なま》りは、甲州入墨で江戸ッ子をもって任ずるがんりき[#「がんりき」に傍点]の地声ではない、特におどしを利《き》かす場合のお国訛りに相違ないでしょう。
「のろま!」
がんりき[#「がんりき」に傍点]はカンテラを持ち上げて、清次が逃げて行った方を冷笑気分に見廻し、
「ぼろっ買い! だが、のろまがのろまでねえ証拠には、ぼろっ買い、とうとう味を占めやがった、抜け目のねえのろまめ! 消えてなくなりゃあがれ、うふふ」
見ればいつのまにか、もうキリリとした道中姿になっていて、四通八達、どちらへでも飛べるように、ちゃんと身拵えが出来て来ている。
がんりき[#「がんりき」に傍点]が、カンテラを提げて、宜しく河原の中に立って、暫く四辺《あたり》を見廻していると、四辺はひっそりしたものだが、東の方は炎々と紅く燃えている。
昼は黒く見える爆烟《ばくえん》が、夜はああして紅く見えるのだ。
二十八
まもなくこのやくざ野郎のキリリとした旅姿が、宮川筋の芸妓家《げいしゃや》の福松の御神燈を横目に睨《にら》んで、格子戸をホトホトと叩くという洒落《しゃれ》た形になってい
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