ますね」
「いいえ、別の人になったわけではございません、お雪ちゃんが昔のお雪ちゃんなら、弁信もまた昔の弁信でございます、もしまたお雪ちゃんが、昔のお雪ちゃんでないならば、自然、この弁信も昔の弁信ではないことになります、変ったとすれば、それはどちらでございましょう」
「わたしは変りません」
 お雪ちゃんは意気込んで言いました。
 そうして、なお附け加えて言うことには、
「弁信さんは眼が見えないから、変ったとお思いになるかも知れませんが、わたしはこの通り、少しも変りません」
「そうですか、でも、わたくしにはどうしても昔のお雪ちゃんを懐かしがるように、懐かしがる気にはなれません」
「どうしてですか、弁信さん」
「どうしてだか知りませんが――わたくしのこの心が落着きません、わたくしの尋ねるお雪ちゃんという人の声は、ここでしているのには相違ないが、魂に触れることができません、お雪ちゃんの魂は……」
「弁信さん、久しぶりにお逢いしたのに、のっけからそんな理窟をおっしゃるものじゃありません。わたくしのほかにわたくしは無いのですよ、もし、あなたが、わたくしの声をお聞きになったのなら、それが本当のわたくしじゃありませんか。神様のように鋭い勘をお持ちなさるくせに、弁信さんは」
「そうではありません、わたくしは現在ここで声を聞くお雪ちゃんのほかに、もう一人のお雪ちゃんがあって、それが行方定めぬ旅に出ているとしか思えてなりません。しかもその行方定めぬ旅というのが、火の坑《あな》へ転げ込んで行く、お雪ちゃんの赤ん坊そのままです――あなたは自分の赤ちゃんが、地獄の火の坑へ這入《はい》って行くのをそのままに見ておられますか。でも世間には、自分の可愛ゆい片身《かたみ》を、罪の塊りだなんて闇から闇に送る親もないではありませんが……」
「ほんとにいやな弁信さん、昔の弁信さんはさっし入りがあって、親切で、有り余るほどの同情をすべてに持って下さったのに、今、久しぶりでお目にかかった最初に、まあ、なんといういやなことばかりおっしゃるのですか」
「いやなことを申し上げるつもりで言っているのではありません、わたくしの尋ねるお雪ちゃんの片身が――片身というのもおかしいようですが、やっぱり、魂と申しましょうか、その魂がここにおりませんのです」
「ほんとに困ってしまいます」
 ああ言えばこう言う弁信の着早々の理窟に、
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