お銀様が……また横紙破りをはじめて、わたしはどうしてもこの宿へ泊らない、これから先の関ヶ原というところまで行って、そこで今晩は泊るから――と言って、どうしても肯《き》かない。
 言い出したら引く人ではないが、そうかといって、わたしはここで皆さんをお待受けしている約束があるから、そんならと言って、お嬢様の思召《おぼしめ》しに従って、関ヶ原までのすわけにはゆかなかったのさ。仕方がないから、庄公をつけて、お嬢様のお気に召す通り、関ヶ原というところまでさきへお送り申すようにして置いたが、それでも心配でたまらない。そこで、友さん、お前さんが来たら、お気の毒だけれども、お頼みしようと思っていたところなのさ。
 友さん、お前は、それ、あのお嬢様にはお気に入りなんだろう。そこでお前がお嬢さんについていてくれりゃあ、わたしは本当に気が休まるよ。
 御苦労だが、これからその足で関ヶ原まで行っておくれでないか――
 こう頼まれてみると米友は、いよいよいやとは言えないのです。
 御苦労だが……とか、お気の毒だが……とか、お角さんから米友に対しても、あまり使い慣れない辞令が連発される上に、頼まれるそのことも決して悪いことじゃない、仮りにも人の身の上の保護を托されるということになれば、米友としても男子の面目でなければならない。それに今、お角さんから言われてみると、あの難物のお嬢様という人に、自分はお気に入られているんだそうだ、なにもおいらはあのお嬢様にお気に入られようとも、入られまいとも企てた覚えはないが、そう言われてみると、親方のお角さんほどの代物《しろもの》が、あのお嬢様には腫物《はれもの》に触れるように恐れ入っているのが、おいらにはおかしくてたまらねえ。
 あのお嬢様なんてのは、つき合ってみりゃ、ちっとも怖くもなんともねえ、話しようによってはずいぶんおいらと意気が合わねえでもなかったなあ、なるほど――言われてみると、おいらはあの難物のお気に入りなのかも知れねえぞ。
 お嬢様に気に入られるくらいなら、こっちもひとつお嬢様というのを気に入れてやろうじゃねえか――お角親方に向っちゃ、おいらはどういうわけだか、気が引けて頭があがらねえが、そのお角親方が恐れ入っているお嬢様というのには、てんで友達扱いでいられらあな――お安い御用だよと米友が思いました。
「じゃ、頼まれてあげよう。そうして、その関ヶ
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