々はいつのまにか宗舟画伯に生捕られて、画伯の名を成すために、後世に恥をのこさねばならぬ」
「いや、どういたしまして、あなた方の超凡なお動静に、朝夕|親炙《しんしゃ》いたしておれば、宗舟平凡画師も、大家の企て及ばぬ自然の粉本《ふんぽん》を与えられるの光栄に接したというものです、筆はからっぺた[#「からっぺた」に傍点]でも、白骨絵巻そのものの名が妙じゃごわせんか」
「妙、妙、白骨絵巻一巻、古《いにし》えの餓鬼草紙あたりと並んで後世に残りましょう。今も言っていたところです、思わないところで、思いがけない人が集まるもので、集まるほどの者がいずれも一風流でござんすから、願わくば洩るることなく筆に残して置いていただきたいものです、面《めん》はみんな揃っておりましょうな、着到洩れはござんすまいな」
「ええ、その以前は知らず、やつがれがここへ加入させていただいてから以来の面《かお》ぶれは、一つとして逃《のが》しは致さぬつもりでございます」
「重畳重畳《ちょうじょうちょうじょう》――では、良斎はじめ我々一座の面ぶれは勿論のこと、あの一座の花と呼ばれたお雪ちゃんも」
「もとよりです、あの子の立ち姿から、坐ったところ、火熨斗《ひのし》を持って梯子段ののぼり下り――浴槽の中だけは遠慮しまして、ちょっと帯を解いて、この浴室の戸をあけた瞬間の姿はとってあります」
「なるほど――では、あの仏頂寺なにがし、丸山なにがしといったほどの浪人も」
「ええええ、傍若無人に炉辺にわだかまったところを描いてあります」
「その最後に姿を見せた、前髪立ちの若いさむらいも……」
「あの方のは、上り端《はな》で草鞋《わらじ》を取っておりますところと、病気で行燈の下に休んでいるところとを取りました、それから昨日は、品右衛門爺さんが蕎麦餅《そばもち》を食べているところを……」
「素早いもんでございますな。では、あの、何て言いましたか、昨今見えたあの、そうそう弁信さん、あのお喋《しゃべ》りの達者な坊さんも……」
「それですよ、それだけがまだ描いてないんです、あんまり不思議な人物ですから、描きたいところが多くて、横になっているところを描こうか、縦になっているところにしようか、それともあの通り、のべつに喋っているところがいいか、黙って控えて沈みきって首低《うなだ》れたところをつかまえてやろうかと、構図に苦心しているうちに、とうとう機会を逸して、まだ着手いたしません」
「まだ、当分こっちにいるでしょうから、機会はこのさきいくらもありましょう」
「それともう一つ、お雪ちゃんという子に連れの兄さんが一人いるとか聞きましたが、病気でちっとも顔を見せないものですから、これもとうとううつし損ねてしまいました。弁信さんの方はまた機会がありましょうが、あのお雪ちゃんのお連れの人は、もう永久に写生の機会を逸してしまったかと思うと残念に堪えられません」
「北原君が会っているはずですから、あの人に聞いて写してみてごらんなさい」
「そうでもしようかと思っているところです」
三人がこんな問答をしている時に、一方の明り取りの窓に張った紙の破れのところが、急にすさまじい音を立てて、バタバタしたものですから、三人は驚いて、その明り取りの高い窓を仰ぐ途端に、パッと眼前に飛び下りて浴槽の隅に羽ばたきをしたものがあります。それは雪に食を奪われた野鳥山禽の類《たぐい》が紛れ込んだかと見ると、そうではなく、一目見て三人が、
「鳩だ、北原君愛育の伝書鳩だ」
と気がつきました。
「だが、少しおかしい」
特に念入りに、その見知り越しの鳩に注意の眼を注いだのは池田良斎でした。
「宗舟さん、済みませんが、その鳩をちょっと見て下さい」
「どうしましたか」
「あなたは御職業柄、観察が細かいに相違ない、北原君愛育の鳩についても、特別に見覚えがなければならない」
「よく見ておりますよ」
「たしか、五羽いましたね」
「ええ、五羽でした」
「その五羽のうちを、今朝出立にあたり、北原君が二羽だけ懐中して行ったはずです」
「その通りです、高山に着いたなら、早速に手紙をつけて放ち返すからとおっしゃいました」
「そうしてあとの三羽は、村田君が北原君に代って監督していたはずです」
「それに違いありません、一号と二号だけを北原さんが持って行きましたから、三、四、五がこちらに残っているはずです」
「仕方がないな、村田君、頼まれものだから一層用意周到に監督すればいいのに、こんなところに舞い込ませるようでは、あとを猫か、いたち[#「いたち」に傍点]に御馳走してしまわねばいいが」
「それもそうですね」
こう言いながら宗舟は、手拭片手で流しの隅っこへ行って、無雑作《むぞうさ》にその鳩を取捕まえて、ちょっと仔細に眺めていたが、面《かお》の色を曇らせ、
「おかしいですよ」
「どうして」
「良斎先生、これはたしかに、北原さんが今朝持って出た第一号の鳩ですぜ」
「え」
「どうしてそれが分ります」
良斎と柳水とが声を合わせてこちらを向く。
「どうしてといって、あなた、この鳩には、北原さんから頼まれて私がいちいち足のところへ銘を打ちました、銘を打たなくとも、羽と毛の特徴と、気分で、私にはよくわかります。これはたしかに今朝、北原さんが持って出た第一号に相違ありません」
「してみると、北原君がまだ高山へ着いているはずはないのだから、途中から放して返したのだな」
「そうかも知れません」
「そうだとすれば、何か便りが書いてあるだろう」
「私も、そう思って見ましたが、文箱《ふばこ》がありません、どこにも合図らしいものが認《したた》めてはありません」
「してみると、北原君が承知で放したのではなく、鳩が勝手に放れて戻って来たのですな」
「そうとしか思われませんが、そうだとすればいよいよ変です、無意味に鳩を逃す北原君ではなし、鳩もまた、勝手に馴れた人の手から逃げたがるはずはないのですから……」
その時に、三人の面《かお》に三筋の不安な色が同時に閃《ひらめ》いたのは、もしや! 途中の変事、北原がこの鳩に合図をする遑《いとま》もなく、鳩もまた合図を待つの余裕を与えられざるほどにきわどい場合。それを想像せられないではない。
池田良斎は浴槽から飛び上って、そうして、あわただしく身体《からだ》を拭いはじめました。
良斎も、柳水も、宗舟も、相次いで浴槽を出て、それから急に炉辺閑話の席に非常召集が行われてみると、案の如く、残された三羽は村田の手で安全に籠の中に保護されていて、浴室へ紛れ込んだそれは、まさに北原が今朝持参して出て、おおよそ三日の後に手紙をつけて送りかえすといったそれに相違ない、五羽のうちの第一号です。
当然、良斎が懸念《けねん》したと同様の不安が、北原はじめ一行の上にかけられなければなりません。そのまた当然の行動として、直ちに、その不安を確めるための特使が、この一座のなかから選定せられなければならないはずです。否、選定されるまでもなく、我も我もと志願するものが出て来ました。
まもなく、山の案内の茂八を先導に、堤、町田の三人のうち、町田は残ることにして、猟師の十太が加わるの一行が早くも結束して、この宿を発足しました。
この場合に、やはり、普通ならば、弁信も閑却されてはならないのです。北原一行の安否こころもとなしということの知らせは、弁信へも一応、報告がなければならないはずでしたが、どういうものか、この人たちのために全く忘れられていました。忘れられているほどによく眠っていたのです。あれからずっと眠り続け、最初の報告通り、三日間は恩暇で寝通すということが、誰に向っても諒解を得ているのですから、それは差支えないが、とにもかくにも、この場合の不安と憂慮とを、弁信に向っても頒《わか》たなければならないはずなのが忘れられていました。
九
熱田の明神の参宮表道路の方面は、あんなように大混乱でしたけれども、その裏の方、南の海へ向った方面は、打って変って静かなものです。
それというのは、海が見とおせるからのことで、見渡す限りの海のいずれにも黒船を想わせる黒点は無く、夜も眠られないという蒸気船の影なんぞは更に見えないで、寝覚の里も、七里の渡しも、凪《な》ぎ渡った海気で漲《みなぎ》り、驚こうとしても、驚くべきまぼろしが無いのです。
この時しも、お銀様は飄々《ひょうひょう》として寝覚の里のあたりをそぞろ歩いておりました。お高祖頭巾にすらり[#「すらり」に傍点]とした後ろ姿。悠揚として東海、東山の要路を兼ねた寝覚の里の、旅路の人の多い中を行く女一人を見て、通りすがる人がひとたびは振返らぬはありません。
それは、お銀様の立ち姿がすぐれて美しかったからでしょう。ことにその後ろ影は、すらりとして鷹揚《おうよう》で、なかなか気品があって、物に動じない落着きもあって、こんなところをともをも連れないでそぞろ歩きするところに、田の面か松原に鶴が一羽降りて来たような風情《ふぜい》がないでもありません。
年増の女房たちも、若い娘たちも、ひとたびは振返ってお銀様の立ち姿を見ないものはありません。見て、そうして羨望《せんぼう》の色を現わさないものはありません。
女の美しさを知るのはやっぱり女であるように、女が心から嫉《ねた》みを感ずるのもやはり女であります。本来、女が男を嫉むということは、有り得べからざることなんですが、そういうことがあるのは、男と女との間にまた一個の女がはさまるからです。女は女をとおしてでなければ男を嫉むということはないのですけれども、女は女に対してのみは、全くの直接です。
お銀様の歩み行く後ろ姿を見て振返る女たちの視線には、みんな多少ともに、羨望と嫉妬とを含まないのはありません。それよりもなお憎いのは、この人が、さほどの羨望と嫉妬を浴せられながら、なお冷々然として、むしろ、そういった同性たちを冷笑しつくすかのように、澄まして取合わない高慢な態度でありました。
他より羨《うらや》まれ、或いは嫉まれた時に、幾分なりとも、得意なり、慢心なりの色があるうちはまだしお[#「しお」に傍点]らしい。羨まれ、嫉まれながら、それを冷倒するやからに至っては、全く度し難いものです。重ねて言えば、人間は縹緻《きりょう》を鼻にかけるうちは、まだ可愛らしいものだが、それを頭から抹殺してかかる奴に至っては、悪魔でも誘惑のしようがない。
お銀様の態度がそれです。おそらくお銀様といえども、人の羨望と嫉視の的になる地位と空気とを、自分が感づかないはずはないのですが、それを刎《は》ね返して進む自分というものをも、自覚していないはずはありますまい。寝覚の里の渡頭《ととう》の高燈籠の下まで来て、そこに立ってつくづくと海を眺めたお銀様の眼には怒りがありました。
寝覚の里は、すなわち七里の渡しの渡頭であります。七里の渡しというのは、この尾張の国の熱田から伊勢の桑名の浜まで着くところ、古《いにし》えのいわゆる「間遠《まどお》の渡し」であります。上古は畏《かしこ》くも天武天皇が大友皇子の乱を避けて東《あずま》に下り給いし時、伊勢より尾張へこの海を渡られたが、岸の遠きを思いわび給い、間遠なりと仰せられたところから、この名が起ったという。
近世には、弥次氏と同行喜多君が、ここに火吹竹の失態を演じたという名残《なご》りもある。
数日以前には、宇治山田の米友が、ここで足ずりをして、俊寛の故事を学んだこともあるのであります。
今し、お銀様は鳥居前の高燈籠《たかどうろう》の下にとどまって、じっと海を遥かに、出船入船の賑わいを近く眺めて立ちつくしていました。
お銀様としては、最初からここへ来るつもりではなかったのです――熱田の明神へ参詣して、ずんとお角を出し抜いて、ひとり境内を外《はず》れてしまったのは、例によってのやんちゃな驕慢心がさせたのみではなく、お銀様としては、お角などの予想のつかない目的を持っていたもので、実はこの熱田の宮の附近に、源頼朝の生れたところがある、そこが尼寺になっている――という知識
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