以て我より祖をなすの工夫あり、信淵の如きは宇内《うだい》を呑吐《どんと》するの見識あり、小生偶然同行の雲井なにがしの如きは、白面の一書生には候へ共、気概勃々として、上杉謙信の再来を思はしむるものあり、快心の至りと存じ居り申候。
会津へも行きたし、秋田へも廻りたきもの、道草もさうなつては浸淫に堕し候、よつて以上の見聞を終り候はば、一路直ちに松島に直行し、あこがれの古永徳に見参し、それより海岸をわき目もふらず房州御膝下に帰趨《きすう》不可疑候。今夜白河の城下に宿を求め候処、右も左も馬の話にて、遠近より馬市に来たる者群り候うち、ふと下総の木更津の者といふのに出会ひ、これ幸便と、燈下に句々の筆を走らせて、右馬買ひの者に托し申候。
馬と申せばこの道中は、三春、白河等、皆名立たる馬の名所にて、野に走る牧馬の群はさることながら、途中茅野原を分け行き候へば、鹿毛《かげ》なる駒の二歳位なるが、ひとり忽然《こつぜん》として現はれ、我も驚き、彼も驚く風情なかなかに興多く候。
あはれ、画料数百貫を剰《あま》し得て、駿馬一頭を伯楽し、それに馭して以て房州の海に帰り候はば欣快至極と存じ候へ共、これは当になり申さず、但し画嚢《ぐわなう》の方は、騰驤磊落《とうじやうらいらく》三万匹を以て満たされ居り候へば、この中に乗黄もあるべく、昭夜白も存すべく、はた未来の生※[#「口+妾」、第4水準2−4−1]《いけずき》、磨墨《するすみ》も活躍致すべく候へば、自今、馬を描くに於ては、敢《あ》へて江都王に譲らざるの夜郎を贏《か》ち得たることにのみ御一笑下され度候――(後略)」
[#ここで字下げ終わり]
右の如くにして、白河の城下を立ち出でた白雲は、同行の奇士雲井なにがしとは、これより先いずれのところで袂をわかったかわからないが、白雲|飄々《ひょうひょう》の旅を、行けという者も、とまれと呼ぶ者もありません。
底本:「大菩薩峠13」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年6月24日第1刷発行
「大菩薩峠14」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年6月24日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 八」筑摩書房
1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月9日作成
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