吉のあとを探ったものと見えます。
幸いなことには、津田生は父祖伝来の家産を豊かに持っていたから、研究費には差支えることは免れたが、不幸なことには、この熱心な発明慾が周囲の誰にも諒解《りょうかい》されないのみならず、それに冷笑と詬罵《こうば》とが注がれたことは、古今東西の発明家が味わった運命と同じことでありました。
しかし、それらの誤解と、冷笑と、詬罵の間に、津田生が超然として発明製作の実行に精進していたことは、少なくとも古今東西の発明家の持つ態度と同じものでありました。
しかし、こういう意味の孤立も、孤立はやっぱり孤立だから、知己のないということを津田生も相当に淋しく感じていたことに相違ない。ところが、このたび江戸から流入して来た先生、賢愚不肖とも名状すべからざる狂想を演じつつある先生だが、ドコかに津田生が惚れ込み、ある席上でこの話を持ち出してみると、皆まで聞かず道庵が双手を挙げて賛成してしまいました。
えらい! 日本にもそういう若いのが出なけりゃあならねえと承和の昔から、道庵が待ち望んでいたのがそれだ、万物の霊長たる人間が、鳥類のやることが出来ねえということがあるものか、異国
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