時、群衆の中に起った一種の同情が、捕方の上よりは、むしろ囲みを受けた味鋺《あじま》の子鉄の上に注がれて来たようです。
 直接、間接に、名古屋城下がこの一兇賊のために、どのくらいの恐怖と迷惑とを蒙らせられたかわからないのに、こうなってみると、子鉄も憐れなものだ! と、一種の同情心のようなものが湧くのを如何《いかん》ともすることができないようです。
 赤銅色《しゃくどういろ》に黒ずんだ面に、額から頬までの大創を浮ばせ、それに、笠を飛ばされて台ばかり紐で結えた面構え。誰も笑う者はないが、自分が一種名状すべからざる皮肉の色をたたえて、ニヤニヤと笑っている。笑っているのではなかろうが、笑っているように見える。
 その間に、ジリジリと押す捕方のすべては、いよいよ真蒼になって、髪の元結《もとゆい》が刎《は》ね切れたものさえあるようです。
 手に汗を握り、固唾《かたず》を呑んでこの活劇を見物している群衆さえ、今は緊張の極になって、泣き出しそうになっている切羽《せっぱ》に、子鉄の両手が、今まで手をつける余裕さえなかった、例の笠の台だけを結んだ紐のところへかかると共に、
「恐れ入りました、味鋺の子鉄の年貢
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