尼寺を犯したということだ。金品の被害のほかに、こいつの凌辱《りょうじょく》を蒙った無惨な尼たちが幾人あるか知れない――そのうちに、露見し、捕手二人を傷つけたが、ついに搦《から》め取られて入牢《じゅろう》の身となったのが、安政年間だとかいうこと。
牢内では牢名主をつとめて、幅を利《き》かしていたが、やがて獄門にかかるべき斬罪を予期し、某月某日の夜、子鉄が巨魁《きょかい》となって破牢を企てた。その党に加わるもの三十人、かねがね牢番を欺いて用意して置いた、鑿《のみ》、縄梯子、丸に八の字の目印と、町役所と認《したた》めたそれぞれの弓張提灯を携え、衣類、十手、早縄まで取揃え、牢を破って乗越えた上に、これらの道具立てで、捕手の役人になりすまし、大手を振って逃げのびて、その夜、堀川通りの小寺宇右衛門ほか二カ所の屋敷を襲うて、金銀、衣類、刀剣を奪い取り、そうして、おのおの思い思いに高飛びをしたという。
それが、今日まで厳密なる探索の手にかからず、全く消息を絶っていた。ある時は遠州秋葉山の下で見た者があると言い、ある時は駿河の興津《おきつ》に現われたなんぞと噂《うわさ》には出たが、かいもく行方が知れ
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