と何人も異存は無きものと存候。
且又、田善は洋画のみならず、洋風の銅版を製することに於て、日本最初の人に有之候。その苦心のほどを聞く処によれば、適当の銅板なきために、自ら槌《つち》を振つて延板を作り、以て銅板の素地を作り候由、蝋《らふ》を使用する代りに、漆《うるし》を一面に塗り、それに鼠の歯を以て彫刻を施し候由、而して出来上り候原版を腐蝕せしむる薬品としては、自身多大なる苦心の上に発明候由、なほ一層苦心したるは右印刷に用ゆるインキにて、種々の試みのうちには、芸妓の三味線の撥《ばち》を購《あがな》ひ来りてそれを黒焼にしてみたることなども有之候由、何によらずその道に対する創始者の苦心容易ならざるもの有之、これ等の点は特に貴下御肝照の事と存じ申候。
また文晁《ぶんてう》の如きもこの地に遊跡あり、福島の堀切氏、大島氏等はその大作を所蔵する事多しと聞き候、これも一覧を乞はばやと存じ候。
それとは別の方面なれど、白河に於ける楽翁公、山形の鷹山公等について同行の奇士より種々逸伝評論を聞き、大いに啓発を蒙り候点も有之候へ共、秋田の佐藤信淵の人物及抱負については、特に感激するもの有之候。聞くところによれ
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