た。
現に駒井の殿様なんぞが、あれだけの器量と、学問と、門閥とを持ちながら、江戸にも甲州にもおられずに、あの房州の辺鄙《へんぴ》にひとり研究をしていらっしゃる、そのことすらも邪魔をされて、結局日本の土地にいつかれないのだ、ということを考えさせられてみると、自分たちの如きが世間を狭くするのも、やむを得ないことだが、また、前途の新しい生涯のことを考えると勇みをなさないではおられません。
駒井の殿様は、船で海外のいずれにか新天地を開きなさるについては、どうしても百姓からはじめなければならぬ、それには万事お前に頼む、お前の指図によって、自分も痩腕《やせうで》で農業を覚えるのだ、お前に農業を仕込んでもらうことが、わしの事業の第一歩の学問だからよろしく頼む、と言われた。
どうも、有難いやら、勿体《もったい》ないやら、たまらない気持がした。なにも駒井の殿様が農業をなさるからといって、そんなに有難い、勿体ないはずはないのだが、天子様でさえも、百姓を大御宝《おおみたから》とおっしゃって、御自分も鍬《くわ》をとって儀式をなさる例もあると聞いていたのだから、駒井の殿様に限って、それを勿体ながるはずはな
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