す。マドロス君は仕事の合間合間には、必ずこの娘のところへ来て、御機嫌を取ったり、御馳走を持って来てくれたり、また暇な時には、歌を唄ったり、手ごしらえの変った楽器を鳴らしたりして慰めてくれるのです。
 兵部の娘は、このマドロス君を、最初からウスノロだとは認めきっている。現にこのウスノロのために、自分があられもない辱《はずかし》め(?)を蒙った苦い体験があるに拘《かかわ》らず、本来そんなにこの先生を憎んではいないのです。もゆる子という娘は、性質が悪くひねくれているわけではないが、どこか厳粛なる貞操観念――とでもいったようなものが欠けているらしい。
 それは病気のせいか、境遇のためか知らないが、深刻に物を憎み切るということができないようです。ウスノロに無体な襲撃を受けた時も必死になって抵抗もし、のがれようともしたけれども、その罪を問う段になると、存外寛容で、男として性慾に悩まされるのは、あながち無理もない、生立ちの相違で、品がよく見えたり、見えなかったりするまでのことで、性慾に対する男の執着というものは誰も同じようなものだ、大目に見てやってもいい――というような観念を自分から表白してしまって
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