とか虐殺が成功しているか、鍬と労働が成功しているかの実例が、太陽の如く明瞭に示されているというわけです」

         六十七

 兵部の娘だけが出て来ないのは、船酔いということだけではないようです。
 それは階下の船室に寝ていることは寝ているが、常の船酔いがするようにそんなに苦しがっていないくせに、この一室にのみ引籠《ひきこも》って、食堂へも、甲板へも、ほとんど出て来ることはないのです。乗組の人が時々見舞には来ますけれども、それともあまり親しみを取らないようだから、自然、見舞に来る者も少なくなっていますから、ほとんど独《ひと》りぽっちのようなものです。
 実のところ、この娘は少し拗《す》ね気味なのであります。最初から船酔いばかりではなく、拗ねて人並にならない原因は、どうもお松が来てから後にはじまっているようです。ことに船に乗込んでから、一層それが船酔いにからんできたもののようです。
 お松のみが駒井に信用されて、自分が虐待を蒙《こうむ》るという次第になったというわけではないが、お松の方が、駒井の左右には最も適しているところから、兵部の娘の御機嫌が悪くなったのでありましょう。
 
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