渡るの必要はなく、たまたまここに現われた、ほぼ自分たちと同形の無名丸の一隻の如きは、ほとんど眼中になく、ために鯨と船とが舷々相摩《げんげんあいま》する形になって、南へそれて行くのがすばらしいものでした。もしこの船が鯨と同じ方向に、その中に挟まれて鯨の行く通りに遊弋《ゆうよく》することができたら、なお一層の愉快だと感ぜしめずにはおきません。
その時、またマストの上に声がある、
「皆さん、海の方ばかりごらんなさらずに陸の方もごらんなさい」
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ああ、七兵衛おやじが
かけるわ、かけるわ!
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茂太郎が叫び立てるから下で、
「茂ちゃん、見えもしないくせに、人を驚かせちゃいけませんよ」
「でも……」
茂太郎は頓着なしに、仰々しく叫び立てています。
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七兵衛おやじが
かけるわ、かけるわ
矢のようにかけて
勿来《なこそ》の関を通りぬけた
おやじはどこへ行くつもりで
あんなに道を急いでいるのか
それは言わずと知れた
陸前の石巻へ向けて
この無名丸と
かけっこをしようというのです
つまり、無名丸が先に
陸前の石巻に着くか
七兵衛お
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