いません」
「でも、毎日、天気がよろしくて何よりでございます」
「全くそれが何よりです、この分では、目的地の石巻へ遅くも三日の後には着きます」
「左様でございますか、今はどの辺の海にいるのでございましょうね」
 この時は、お松はもう船長室に入っていて、デスクの右の方の椅子へ腰をかけしめられていたのです。
「この図面をごらんなさい」
 駒井は自分が今まで熱心に見ていた海図であろうところのものを、お松の前にさしつけました。
 駒井は自分の研究事項に対しては、その人をさえ得れば非常に親切な開放心を持っていて、素人《しろうと》に向っても諄々《じゅんじゅん》として説くことを厭《いと》わない気風を持っている。そこで、お松の前に海図がつきつけられたけれど、ただそれだけでは、当人が当惑しているのを見てとって、言葉を添えました、
「これは海図といって、海の道を写したものです。陸地には地図とか、絵図とかいうものがありましょう、それと同じことに、海にも海図というものがあって、航海者のたよりとなっているのです。ごらんなさい……こっちが陸で、こっちが海です。そうして我々のこの船は今、海の中の、ちょうどこの辺のと
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