限りの青海原《あおうなばら》で、他の船の帆の影さえ一つも見えない。見えるものは、空と、雲と、水と、それから空を飛ぶ信天翁《あほうどり》と、鴎《かもめ》だけのものです。
しかし、天気は穏かで、海は静かなものなのです。静かだといっても、時々ローリングというやつがやって来て、慣れない船客の足を悩ますことはあるが、それもその心得でさえあれば何のことはないのです。
今、無名丸の――まだこの船には名がついていないから、これは駒井甚三郎が、田山白雲に諮《はか》って適当な名乗りを選択してもらうはずでしたが、白雲を待ちきれないうちに船が出てしまったものだから、当分は無名丸――で置くことにしました。この無名丸のメーンマストの下には、柱を囲んで幾人かの人が嬉々として語り合っているのを見ます。
それを数えてみると、お松がいる、金椎《キンツイ》がいる、乳母が登を抱いている、茂太郎がここでも般若《はんにゃ》の面を放さないでいる、それとマストの前にはマドロス君が頑張っている。マドロス君の頭の上には三尺に四尺ぐらいの黒板が吊されてある。
その背後にはムク犬がうずくまっている。
まず、メーンマストの下を囲んだ
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