むものもなく、茨《いばら》の袖を引留むるものもない。岩々石々、みな氷白の色をなしているばかり、雪かと思ってその一片を摘んでみれば、灰のように飛んでしまい、氷かと疑って、その一塊を噛んでみると鉄より固い。
 見上げるところの高山大岳、すべて同じく氷白の色です。
 いつしか自分の身体が、いつぞやお雪ちゃんに導かれて白馬ヶ岳を登った夢の場面と同じような、白衣《びゃくえ》の装いになって、金剛杖をつき鳴らしつつ、この湖畔を歩んでいるのだが、今はもとより導いて行く人もなく、上へ登ろうとするようで登るのではなく、下ろうとするようで下るのでもなく、湖畔の山脚の高低を、徒らに巡りめぐって水を求めているのだが、求める水は一滴も見出せないのみならず、白馬を登る時に見たような、眼のさめるほどの美しい高山の植物もなければ、人なつこいかもしか[#「かもしか」に傍点]や、人を怖れない雷鳥のたぐいも出て来るのではない、生けるものといって、虫けらでさえが一つ眼に落ちて来るものはないのです。
「でんぶ」
「でんぶ」
「でんぶ」
「でんぶ」
 曲々浦汀から起る波(?)の音が、またひとしきり聞え出してきては、また納まる。その
前へ 次へ
全433ページ中378ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング