は、そんなに野暮《やぼ》ったいものではありませんでした。貸してくれた金を、封を切って見ると、まとまったのが百両に、別に小出しが十五六両はあります。宿の取持ちはなんらの隔意が無くてよろしい、小娘が運ぶ膳部には川の肴《さかな》に一陶の山酒をさえ供えてある。
 外の雨はしとしとと春雨の気分がある。ちょっと障子をあけて見ると、飛騨谷の山が雨にけぶり、飛騨川の断崖に紅葉が燃えている。お蘭はここで、かねがねお代官を喜ばしていた爪弾《つまび》きの一手をでも出してみたい心意気になる。
「ねえ、あなた」
 ちゃぶ台のこちらで、身をくの字にしながら、この思いがけない道づれに向ってしなだれかかるような調子は、この女の天性です。飛騨の高山へ生れさせないで、江戸の深川か、京の膳所裏《ぜぜうら》あたりで育てたらと思われるばかりの女です。
「あぶない思いも、こうなってみると変じゃありませんか、なんだか嬉しいような気がして、あの怖ろしかった晩のことが、まるで夢のようでございます、あなたと二人で道行でもしているような気持になってしまいました、夢でしょうか、現在でしょうか、ねえ、あなた」
 お蘭はこう言いながら、竜之助の
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