わせておかみさんを拝んでいる。
 若い衆が桐油を取りに行ったその隙を見て、おかみさんは駕籠の隙間から、一枚の切手を投げ込みました。
 若い衆の持って来た桐油には杏葉牡丹《ぎょうようぼたん》かなにかがついている。これは本願寺御坊専用の品か知ら……飛騨の国に於ての門徒の勢力がこの桐油だけで、道中の安全を保証する便りは充分あるのだと思わせられる。
 かくしてこの夕べを二つの駕籠は、一切の雨ごしらえで、ゆっくりと出立し、途中になって急馬力で走り出しました。
 あとに残った、心利いた黒川屋のおかみさんの取りしきりぶりに見ると、久々野からここまで駕籠をつけさせた、例の仏頂寺、丸山が徴発して来たところの四人の者には、充分の鼻薬と口止めが利いているのに相違なく、これから送り行く六人の者は、みな黒川屋譜代恩顧の者共だから、万一の際にも、口の割れる気づかいはないはず。

         五十六

 委細も聞きもせず、言われもしないのに、のみ込んで背負い切り、こうして駕籠を送り出して後、また帳場に坐ったおかみさんは、何といっても、いやまして行く不審に相当の思いわずらいをしないわけにはゆきません。
 ああし
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