ね」
「眼を醒《さ》ますつもりで寝ていれば、いくら眠っても、眠り死ぬことはございませんよ」
「でも……この際のことですから、弁信さんを起しましょう」
「起さない方がいいです、あんな人は、醒めていい時にはきっと醒めますから、起すまでのことはないです」
「そうですか」
神主は、弁信の眠りを妨げようとする一座の者を固くいましめて置いて、
「さて、わしは、久しぶりで、お湯をよばれます」
と言って、そのままスタスタと湯殿の方へ行ってしまいました。
あとでは、炉辺の一座が、この時、はじめて弁信の噂《うわさ》を盛んに唇頭に上せてきました。何ということだ、今まで、小さくともあの人間一人の存在を忘れていたのは、何というおぞましいことだ、こうして家を同じうして、天災に遭《あ》ってみれば、死なばもろともという覚悟をきめて、かたまっていたはずなのに、そのなかの一人を忘れてしまうとは情けないことではないか、もし我々すべてが助かって、あの不具な小法師ひとりを見殺しにしたとあっては、世間への面目はもとより、我々の良心が許さないではないか。
神主様はああは言うけれども、忘れていたのは我々の落度だから、ともかく彼
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