せざるを得ません。ところが外で案外のんびりした声で、
「おあけ下さい、鐙小屋《あぶみごや》の神主でございますよ」
 ははあ、鐙小屋の神主さん、そのことは忘れていた。その心細い程度に於て北原君よりもいっそう――気の毒千万、さすがの行者も心細くなって、ここをめざして降る灰の中を身を寄せて来たのだ。
 十二分の同情をもって入口をあけてやると、果して、鐙小屋の神主が蓑笠《みのがさ》でやって来たのです。蓑笠も灰でいっぱいですけれども、その被《かぶ》りものを取去った神主さんの面《かお》は相変らず輝いたもので、実に屈託の色が見えなかったことは、この際、一同をしてさすが神主さん――と感心させました。
「大変に山が鳴り出しましたね、しかしまあ、御安心なさいよ」
 こちらが同情したのがかえって先方から慰めの言葉を送られる。斯様《かよう》な際には、ただ単に平然たる人の面色だけを見てさえ大きな力になるものですが、この神主さんは平然たるのみならず、またいつものかがやきをちっとも失ってはいないのみならず、この天災にも充分の見とおしを置いて、あえて騒ぐに足らずといったような態度は、つまり、焼ヶ岳を鳴らしたのも、自分
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