ように、人倫を無視した程度にまでの歓楽に酔っていたわけでもないのに、彼よりも危険なることなお一層の境地に置かれたのは、罪障のためでなく、運命の不幸と観ずるよりほかはないと見えます。
 もはや、白骨の温泉も、歌でもなし、俳句でもなく、絵でもなく、はた炉辺閑話でもありません。この鳴動と共に、みんな期せずして炉辺へ参集したけれど、それは万葉の講義を聞かんがためでもなく、七部集を味わわんがためでもない、さしもイカモノ揃いが悉《ことごと》くみな驚歎しきった色を湛《たた》えて、
「さて、どうしよう」
というは、ほとんど落城の際の最後の評定《ひょうじょう》みたようなものです。
 しかし、いずれも相当の教養と覚悟のある連中でしたから、悪怯《わるび》れるということもなく、この評定も決断的に一定せられてしまいました。
 すなわち、何といってもいまさら動揺することはすなわち狼狽《ろうばい》することである、これから険山絶路を我々が周章狼狽して足の限り逃げてみたところで何程のことがある、山が裂けた以上は、ここ数十里の地域は熱鉱を流すにきまっている、逃げられないものなら逃げるだけが無益、むしろここに最後を死守して
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