妻までが、大抵はある程度まで、イヤなおばさんかぶれになるものらしい。
 それがまたこういう際に、ある程度まで黙認されるようなことになって、古《いにし》えの時代の歌合《かがい》、人妻にも我も交らん、わが妻に人も言問《ことと》えという開放性が、節度を踏み越させてしまうのも浅ましい。
 ここの場所、ここの瞬間だけでは、密会は公会であり、姦通も普通として、羨まれたり、おごらせられたりするうちはまだしも、ついにはそれがあたりまえのこととなってしまって、憚《はばか》る人目の遠慮も必要がなければ、羨み嫉む蟠《わだかま》りというものも取払われてしまってみると、なあにこういう開放時代は、一年に一度と言いたいが一生に一度あるかないのだから、野暮《やぼ》を言うものではない、ここ一日二日の後には、てんでに里へ帰って真黒になって稼ぐのだ、ここは暫く歓楽の世界、苦い顔をすることはない、人のするように自分もやれ、それがええじゃないか、ええじゃないか。
 高山でちょっと手を焼いたがんりき[#「がんりき」に傍点]の百なんぞも、こんなところこそあいつの壇場であるべきはずだから、きっと、どこにか姿を見せて、湯気の後ろから山
前へ 次へ
全433ページ中298ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング