てきました。よい口実が出来たものです――
「では、どこにいるの」
「あの――清洲とか言いまして、ずっと遠方なんでございます」
「清洲――清洲は遠方ではありません」
お銀様にピタリと食《くら》ってしまいました。事実、清洲という名だけはお角さんも聞いて知っている。名古屋から上方への方向だということは聞いて知っているが、どのぐらいの距離があるものやら、そのことは一向知らないのです。それで御同様、旅のことであるから、お銀様もやはり御多分には洩れまい、そこで、遠方だと言ってごまかしてしまえば自然この話はうやむや[#「うやむや」に傍点]に解消ができるとこう考えたものですから、そう返事をしたのが誤算でした。つまりお角は自分の知識の程度と、お銀様の知識の程度とを同一に見たことからの誤算でしたが、事実お銀様は清洲というものを知り抜いている。土地そのものとしては、未《いま》だ未踏の地だが、名に聞いているというよりも、元亀天正以来の歴史と伝記の本で暗《そら》んじきっていることを、お角さんは気がつかなかったのがおぞましい。
そこでピタリと抑えられてしまったから、もうお角さんとしては、二言を許されないのです
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