届けていた者に、お銀様がありました。

         四十三

 お銀様は、土器野《かわらけの》にて行われた味鋺《あじま》の子鉄の磔刑《はりつけ》の場面の最初から最後までを、すべて見届けた一人には相違ありませんでしたが、唯一人とは言えませんでした。見物の大多数の中には、お銀様同様に、ほとんど目ばたきもせずして、この三十槍の残らずを見届けたものが、役向一同のほかに、まだ確かに一人、存在していました。そのお銀様以外の一人というのが、年魚市《あいち》の巻から姿を現わして、岡崎藩を名乗った梶川与之助という振袖姿の美少年でありました。
 この少年は今日、足駄がけでやってきて、矢来の外に立ち、大多数がすべて面《かお》を伏せた時も、更にはにかむことなく、じっと眼を凝《こ》らして、人間の死んで行く落ち際の表情を、漏らすことなく見ていたことは間違いありません。
 それは、やはり、見るべく見に来たのですから、単に自分の興味のために、或いは後学のために見に来て、滞りなくその目的を果したものですから、三十槍で検視の事済みになると、あとのことは頓着なく、さっさと歩み去って名古屋城下へ来てしまいました。
 同
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