らず、役人に向って念を押すことも知らず、あちらを見、こちらを見ていると、罪人がまた下から言いました、
「お父さんが釜うで[#「うで」に傍点]になれば、お前も抱いて行くのだが、お父さん一人のお仕置で済むというのは御時世のお慈悲と、それからお前のころものおかげだ、罪ほろぼしにお父さんを縛れ、ここでお父さんの言う通りになるのが本当の孝行というものだぞ、お役人様にお願い申してあるから、縛れ、お前のために捕まって、お前の手で縛られてこそ、このお父さんが浮べるというものだ、いいから縛んな」
 その時、検視の役人が二三、こそこそと額を鳩《あつ》めました。まもなく、右の小さい尼は、別な人に促されて、退引《のっぴき》ならず数珠《じゅず》を納めて縄をとりあげたものです。
 まもなく、見物の群集の眼は、この小さな尼が、磔刑柱に載せた人間の五体の間を立ちめぐって、しきりに働いているのを見ました。
 言いつけられた通り、素直に罪人なる父を磔刑柱に縛りつけているのです。と言ったところで、罪人を磔刑柱に縛りつけるには、また縛りつけるで一定の方式がある。
 まず第一に足首を横木へ結びつけることからはじめて、次は両人ず
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