見たが、やがて捧げられたところの柄杓のままを口につけて、ゴクリゴクリと二口ばかり水を飲みました。
 ところが、そうして父と呼んで、末期《まつご》の水を飲ませた尼は、父から見据えられた面を自分も見上げたが、存外、感情が動きません。泣きもしなければ、別段、目に涙を湛《たた》えているのでもない、もとより嬉しがってはいないけれども、父だという人の今日の最期《さいご》に、特になんらの激動した感情が認められないのは性質かも知れません。
 全く、これで見ると、この児は、父の最期の名残《なご》りを惜しんで、水を与えに来たものではなく、確かに水を持って行けと言われたから、その言いつけの通りにしてみたものらしい。親ながら、父も暫くその顔を見据えただけで、この際、特別な愁歎場を見せないで、仕置場の方へ曳かれて行ってしまったことが、見物にはあっけ[#「あっけ」に傍点]ない思いをさせました。
 親子といったからとて、そう情愛ばかりあるにきまったものではない。
 小さい尼さんは、おつとめを果したが、さてまた検視詰所の後ろへ立戻ったものか、もう少し父のあとをついて行ったものか、手持無沙汰の形でうろうろしています。

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