いうもののお守役を仰せつかって、それより以上に名古屋でも膝を乗出すわけにはゆかず、また、名古屋を中に置いて事を為さんとすれば、どうしても上方《かみがた》を見て来ないことには、東西をひっくるめての大芝居は打てないわけですから――万事は帰りとして、さあ、もうこの辺で一応金の鯱《しゃちほこ》へもお暇乞いをした方がよかろうという気になったのは、一つは道庵先生に先を越されたその羽風にも煽られたのでしょう。
 そう思い立つと、お角さんとして愚図愚図することはできないから、もう明朝にも上方へ向けて出かけようじゃないか、それには自分たちの方は、あ[#「あ」に傍点]と言えばさ[#「さ」に傍点]だが、お銀様へ御都合を伺っておかなければならぬと、お角さんはともをつれて、本町の近江屋という宿へお銀様を訪れたのはその晩です。
「お嬢様、明日あたり、名古屋をお立ちになりませんか」
「明日」
「はい、もう名古屋も大抵おわかりのことと思いますから」
「明日はいけません」
「お都合がお悪うございますか」
「別に都合が悪いというわけでもありませんが、明日は見物するものがあります」
「おや、まだ御城下にお見残しがおありにな
前へ 次へ
全433ページ中275ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング