、そこでお雪ちゃんも、その他の誰をも発見することのできなかったのは無論のことです。
 のみならずこの際、他国者が、この界隈にうろうろなんぞしていようものなら、フン縛られてしまうという空気を実際に看《み》て取って、こうしているのも危ないことこの上もないのを感じ、ともかくもこれは一度平湯へ引返して、改めて方法を講じなければならないことをさとり、着いた日に、また平湯へ引返すことのやむを得ない事情になってしまいました。
 これはまた、町田としても、久助としても、この際、至当な態度であって、実は二人が、平湯からこの地へ無事に足を踏み込んだことでさえがむしろ幸いなくらいで、その以前、在留の人や、通りがかりの旅人で、嫌疑だけで、抑留や捕縛の憂目《うきめ》を蒙《こうむ》ったものが幾人もあるとのことです。
 そこで、平湯へ帰ってみると平湯の客がまた意外に混み合ってきたのは、一つは前いうような高山の空気から、この地へ避難した客と、土地ッ子であっても目に立つことを嫌うものが、ここまで遠出をして来たというような、あぶれ気分がないでもありません。
 高山の変事はここまで持ち越されて、湯の中での流言蜚語《りゅうげ
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