あたりはどうしても帰って来なければならないのに、今以て音沙汰がない、まだ二三日はどうにか過せるものの、この二三日が過ぎれば、それこそ本当の絶体絶命だということに思い廻《めぐ》らされなければなりません。
 生活問題ということを、今日まで真剣にお雪ちゃんは考えさせられたことはないのです。こうしてお雪ちゃんは、炬燵に屈託しながら、ぼんやりと金屏風をながめていました。
 この痩所帯《やせじょたい》に金屏風だけが光っている、これはお寺の什物《じゅうもつ》の一つを貸してくれたもので、緑青《ろくしょう》の濃いので、青竹がすくすくと立っている間に寒椿《かんつばき》が咲いている、年代も相当に古びがついて、絵も落着いた筆である。
 この金屏風の金と、竹の緑青と、椿の赤いのを見ていると、屈託したお雪ちゃんの心も落着いてくる。
「お雪ちゃん」
 そこへ、屏風の蔭から竜之助が刀を提げて歩いて来ました。
「まあ、先生」
「あんまり静かにしているから、心配になって見に来ました」
と竜之助が言いました。
「いいえ、いい心持で屏風の絵を見ていましたのよ」
「何の絵が描いてあるのです」
「竹に寒椿、ほんとうにこの青い竹が
前へ 次へ
全433ページ中172ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング