ものがありとすればありと見られ、その筆のあとに血が滲《にじ》んでいると見れば見られてたまらない。
 転じて、西に向いた方を見ると、
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「最モ美シイ芸術ホド、自分ノ最モ悪イコトヲ自覚シテヰル人間ノ作ニ成ルモノデアル」
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と焼筆で走らせたものもある。その次には、
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大魚上化為竜 上不得獣額流血水為舟
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 これも与八にはちんぷんかん。
 更に一方の上壇、白檀張《びゃくだんば》りの床の間とも見える板の表には、
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平等大慧音声法門
八風之中大須弥山
五濁之世大明法炬
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 いともおごそかに筆が揮《ふる》われているのを見る。

         二十四


 かくて、七里村恵林寺へ着いた与八。折よく慢心和尚は在庵で、与八を見て悦ぶこと一方《ひとかた》ならず、ここにまた当分の足を留める与八。
 昼は、与八は寺男のする寺の内外の雑役の一切を手伝った上に、寺所有の山へも、畑へも行く。随所に郁太郎を連れて行って、しかるべきところへひとり遊びをさせて置くが、郁太郎は極めてお
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