と、果して巨大なるムク犬が前面を過ぎて行くのを見ます。窓をあけられた途端にちょっとこっちを振返って挨拶をしたままで、また、のそりのそりと暗いところをあちらへ向けて歩んで行く、その体《てい》を見ると、忘れられようとも、忘れられまいとも、この番所の夜を守る責任はかかって我にあるのだ――人を心置きなく楽しませるためには、自分が間断なき警戒を必要とするという忠実なる番犬の心と言うよりは、名将は士卒の眠っている間、自身微行して歩哨《ほしょう》の戒厳を試むることあるというにも似ている。
七兵衛はそれを見ると、尊《とうと》いような気がしました。内で、一切を忘れて清らかな興に耽《ふけ》っている人たちも尊いが、こうして忘れられながら夜を守っている犬も尊い。どちらも尊いが、自分だけが、どちらにも一方になりきれないことを、またひとしお悲しく思われないでもありません。
こうしてムクの歩み行く方向を見ると、暗い中でも物を見るに慣らされた眼が、ハッキリと、自分のこしらえた生田《いくた》の森の塀《へい》と、それから築《つ》き出した逆茂木《さかもぎ》へと続いて行きました。
今までこみ上げて来た感情のために、それ
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