、あの女はほとんど家を外にして楽しんでいるのだから、それはもうなれっこ[#「なれっこ」に傍点]になって、特に気がかりにもならないのでしょう。それに、世話の焼きだてをした日には際限ないものと、ほぼ見切りをつけているのでしょう。
 それでも、時あってか、あの女のことに就いて何か甚《はなは》だしく癇《かん》に障《さわ》って、むらむらと不快の気分に襲われることもあるにはあるが、面を合わせてみると大抵まるめられてしまって、お絹に対してだけは、いまだ暴行に及んだというためしを聞かないのです。
 お絹という女は、先代の神尾の愛妾でありました。今の神尾なんぞは、事実、子供扱いにして来たのですから、苦もなくまるめてしまうのでしょう。また主膳の方でも、まるめられるのを知りながら、それなりで納まってしまうのは、あながち役者がちがうせいではないのです。
 主膳としては今朝はそんなことの一切を忘れて、書道を楽しむことができていると、庭に、がやがやと子供の声です。
 子供を愛するということも、このごろは主膳の閑居のうちの一つの仕事でありましたけれども、これは書道を楽しむほど純なものではなく、子供を愛するというより
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