は、子供を暇潰《ひまつぶ》しのおもちゃとして弄《もてあそ》ぶに過ぎない、と言った方が適当であることは、前にも申した通りです。
子供らの方では、最初見た、目の三つある怖《こわ》いおじさんが、必ずしも怖いおじさんではなく、ずいぶん屋敷も開放してくれたり、おいらたちと遊びもしてくれたりする、気のいいおじさんであるところもあるのを看《み》て取って、門が開けっ放しにされている限りは、無遠慮に入って来て、庭や屋敷の中を遊び場とすることになれています。
主膳は書道を楽しみながら、子供たちのガヤガヤを聞くと、またやって来たなと思いながらも、慣れていることだから、彼等が相当に騒ごうとも、こっちの書道|三昧《ざんまい》にあまり妨げとならないことを知っています。遊ぶだけ遊ばしておいて、うるさくなった時は追払えばよい、いけないと言えば彼等も素直に出て行くようになっている。
そこで主膳は、子供たちには取合わないで、相変らず書道に凝《こ》っていたが、そのうち、外で遊んでいた子供らが、座敷へ上って来たようです。それも、彼等のために開放すべき座敷は開放するように、区別してあるから、隠れん坊をしようとも、鬼ごっこ
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