かおやじ》としてのこしらえに比較してみて言うことで、なるほど、赤銅色《しゃくどういろ》に黒ずんだ顔面の皮膚の下の筋肉は鋭いほどに引締っている。同時にその金看板であるところの、額から頬へかけての創が稲妻のような鋭いひらめきを見せないではいない。
 その瞬間――お銀様は、この創は決して、若い時に木を伐《き》りに行って受けた創ではないということを直覚しました。第一、この隙間のない小柄な男が、木を伐って、その伐られた木に仕返しをされるまで、便々と待っているような男であり得るはずがない。
 こう、直覚的にお銀様の眼に映った時に、一方、その機会に、ふっつりと、今まで自分の背後にペチャクチャと燈籠の故事来歴を囀《さえず》っていたキザな声が止んでしまったことも、かえって耳障りでした。
 さいぜんの悠長さでは、この燈籠の台石の分析から、石工の詮議《せんぎ》までもしかねないと見えたのに、ここに至ってふっつりとペチャクチャが中絶されてしまったのは、ペチャクチャと囀っている以上に耳ざわりになったものですから、前のを一太刀受けて、直ぐに後ろへ切り返すような心持にせかれてお銀様が、ふとこの背後を振返って見ると、今まで漠たるペチャクチャを囀っていた旅の者――誰が見ても通常の東海筋の伊勢参りとしか見えなかった二人の者が、同時にその被《かぶ》っていた笠を払い落した途端で、そうして同時にキラリと懐中から光り出したものは、房の附いた十手というものであることを、お銀様の鋭敏なる眼に認められてしまいました。
 この二つの十手は、お銀様の目の前をかすめて隼《はやぶさ》のように飛んだと見れば、今し、父と呼びかけられて、いじらしい小さな尼に縋《すが》られた当の男、すなわち顔面黒くして、額から頬にかけて、決して伐り倒した木のために復讐されたのでないところの金看板を有する右の男に、左右からのしかかって飛びついたことです。
「あっ!」
 その時、左の方から飛びかかった十手が、あばらのあたりを抑えてうしろへのけぞってしまいました。
 けれども、右の方の十手によって、被った笠が叩き落されて、その利腕《ききうで》を取られていたのです。
 が、その利腕をひっぱずすと共に、十手を突き倒しておいて一目散に逃げ出しました。
 この、ほんの一瞬間の出来事の顛末を最もよく見たものはお銀様でありましたが、忽《たちま》ちその波紋が拡大すると、波止場の全体をひっくり返すだけの力がありました。
 その群衆の間を、隼のようにくぐり抜けて走る笠無しの創《きず》の男――それは同時に西浜御殿の塀の下にいた同じような伊勢参りのいでたちが、笠をかなぐり捨てて、形の如く十手を取り出して立ちふさがると、また一方、海岸にいた巡礼六部姿のやからまでが皆、懐中から十手を取って、その仮装をかなぐり捨てたのは、キンキンと音のする捕手の腕利きに違いない。同時にまた、いつのまにか、火消、纏持《まといもち》が、すべての非常道具を持ち出して、町角辻々を固めてしまう。
 ここで全く右の小柄の男を袋の鼠にして、この築地海岸一帯を場面としての大捕物がはじまることとなる。
 群衆の沸騰と興味は思いやるばかりです。相当の距離に立ちのいて、喧々囂々《けんけんごうごう》の弥次を飛ばすところを聞いていると、
「ありゃ、味鋺《あじま》の子鉄《こてつ》ですぜ」
「ああ、子鉄もいよいよ年貫の納め時か」
「こう囲まれちゃ、もう仕方がおまへんな――こうなると子鉄も、哀れなもんやなあ」
「だが、子鉄は腕が利いとりますからな、お手先の旦那方も、只じゃあ、あの鼠は捕れませんや」
「ごらん、はじめに子鉄を抑えた旦那が、ああして苦しんでおいでなさる、はっと飛びかかった時に、子鉄の右の臂《ひじ》であばらへあてられたんです」
「子鉄も子鉄だが、あんなのにかかっちゃ旦那方もつらい」
 子鉄、子鉄と呼ぶ、あの男が子鉄というものであることは、土地ッ子の証明によって、もう間違いのないところだが、子鉄の何ものであるかを説明している場合でないと見え、その性質は旅の人には分らない。
 無論、お銀様にもわからない。

         十三

 これを知らないもののために、一応その素姓《すじょう》を物語ってみると、ここに子鉄と呼ばれている当人は、有名なる侠客、会津の小鉄でないことは勿論《もちろん》だが、さりとて、会津の小鉄を向うに廻しても名前負けのする男ではなかったのです。
 生れは城外、味鋺村《あじまむら》の者で、その名は鉄五郎――父も鉄五郎といったから、そこで子鉄が通称となっている。
 名古屋城外で窃盗《せっとう》を働いて、敲《たた》きの上、領内を追われたのを皮切りとして、捕まってまた敲きの上に追放――その間に同類をこしらえ、ある時は一人、ある時は同類と、諸方を荒し廻っているうちに、好んで
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