した。
 今、日本の国の諸大名が、大きいのは大きいように、小さいのは小さいように、みんな鉄砲を買いたがっているが、その鉄砲も異人から買わなければならない、私も一つその取引をやっているが、なにぶん仲買のようなもので、自分が直接に異人と取組めないのが残念でたまらない。
 ところで、日本の国が今、西になるか、東になるか、外国に取られるか、取られないかの境だというが、異人さんの方の説では、なあに異人だって、日本の国を取ろうというつもりはないそうで、日本の国と商売ができさえすればいいんだから、異人も相談して、なるべく日本の国を乱さないように骨を折っているということだ。
 そこで、日本の国の政治がどっちへどうなろうとも、やがて落着けば、一切、異人相手の仕事ということになるはきまっている。だから、もう自分は将来、専《もっぱ》ら異人向きの商売をと決心してしまいました。
 その商売のうちにも、鉄砲や軍艦ばかり、売ったり買ったりしているのが商売ではない、ゆくゆくは、向うに無い品物と、こっちに有り余る品物との交易が、盛んになるにきまっている、そこが目のつけどころなんです。
 現に異人はシルク、シルクと言って、日本の絹をばかに好くんですね、そこでわたしは、日本中の絹と生糸を買い占めて、異人に売り込んだら、ずいぶん大仕事ができると見込みましたよ。幸い、わたしの生れた甲州や、その隣りの信州なんぞでは、田舎家で一軒として蚕を飼って糸をとらないところはありませんからね、島田糸なんぞにして家《うち》で着用《きよう》にしたり、その残りは八王子だとか、上州だとか、機場所《はたばしょ》へ売り出すんですが、あれを買い占めて浜から異国へ積出すんですね。
 これは確かに儲《もう》かりますぜ。私はそれをやってみたくてたまらないが、差当っていちばん困るのは異人さんに信用がないことです。異人というやつは、信用すればどこまでも信用するし、信用しなければ、てんで相手にしないんですから、どうしたらその異人に取入って信用がとれるか、それに一生懸命苦心して、このごろはしょっちゅう築地の異人館附近に立廻っているが、言葉はわからないし、ひき[#「ひき」に傍点]はなし、どうしても異人へ信用を売りつけることがむずかしいと苦心し切っていたところへ、偶然あなたのお姿を異人館で見かけました。
 しかも、あなたの異人さんとの交際ぶりが、ずいぶん親密な御様子ですから、こいつ占めた! と思いました。
 御新様の前ですけれど、異人は、女にのろいものですね、男は滅多に信用しませんけれど、女だというと直ぐ参っちまいます。それもそうです、男には例の尊王攘夷で異人さんの首を狙《ねら》うのがうんといますけれど、女にはそんなのはありませんからね、そこで異人は日本の女を大へん好くんです……ところが、日本の女は慾が無いんですね、そこへつけ込んでうまく異人に取入ればいいのに、日本の女にはそれだけの腹がある奴がありません、降るアメリカだのなんだの見識ばって――
 というような減らず口から進んで、どうかお絹の手で、自分をしっかりと大資本の異人さんに紹介してもらいたい、いったん異人さんに紹介してもらいさえすれば、それから以後はこっちにも自信がある、腕を見せての上で、信用を博してみせることは請合い、ぜひひとつ、この紹介を頼みたいという要領を、かなり能弁で説き立てました。
 聞いていたお絹は、相変らず一分の隙もない慾得一点張りの註文だが、これはこの若造として壺を行っている註文であって、自分としても、叶えてやっても損にならない性質のものだと思いました。
 単に手引をしてやりさえすれば、事実それから先は、どれほどのことをするかわからないと思わせられます。もう一ぺんこの若造と組んで、これを手代として仕事をやらせれば、こんどは以前のような日済貸《ひなしが》しと違い、七兵衛のように資本《もとで》なしでかき集めて来るのとも違い、もっと明るく、おおっぴらに大儲けができるのだ。次第によってはこんなのが、三井や鴻池《こうのいけ》を凌《しの》ぐ分限《ぶげん》にならないとも限らない、全く金で固まった面白くもない若造だけれども、こんなのをこっちのものにして置くのも不為めではない。
 そこでお絹は、一も二もなく、この昔馴染《むかしなじみ》の若造を、異人にうんとよく売りつけてやろうという気になって、快く頼みを引受けた上に、うんと御馳走をして帰してやりました。

         二十一

 与八と郁太郎《いくたろう》を除いた武州沢井の机の家の留守の同勢は、あれから七兵衛の案内で、無事に洲崎《すのさき》の駒井の根拠へ落着くことができました。
 その道程は、江戸までは普通の道、江戸橋から曾《かつ》てお角さんも行き、田山白雲も行った通りの船路をとったもので、天候も無事で
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